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今週のローズンゲン2013 04/07〜04/13

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今週のローズンゲン2013 04/07〜04/13

日々の聖句2013 04月07日(日)
わたしはあなたとまことの契りを結ぶ。あなたは主を知るようになる。(ホセ2:22)
パウロの手紙:「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。(エフェ5:31ー32)
私の黙想:
「契り」と訳されている「アーラッシュ」は旧約聖書では7回ほど出てくるがいずれも婚姻関係を意味している。ここではそれに続く「知る」ということ語と組み合わされて、夫婦となるという意味であることは明らか。ホセア書における神とイスラエルの民との「特殊関係」については2日前の聖句の黙想でも触れたとおりである。ホセア書においてこのことに触れる場合、自分を捨てて姦夫に走った妻を許し、自分の元に帰ってくることを願う夫の「愛」を語っている。いわば石川達三の「泥にまみれて」の世界である。

日々の聖句2013 04月08日(月)
すべての命あるものは、肉なる人の霊も御手の内にあることを。(ヨブ12:10)
神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。「我らは神の中に生き、動き、存在する」のです。(使17:27-28)
私の黙想:
先ず初めにつまらぬことを一言。この文章は日本語として落ち着きがない。というより、文章になっていない。フランシスコ会訳ももう一つである。口語訳がスッキリする。「すべての生き物の命、およびすべての人の息は彼の手のうちにある。」少々強引であるが、文語訳は明解である。「一切の生物の生気および一切の人の霊魂ともに彼の手の内にあり」。参考までに中沢洽樹先生の訳「すべての生き物の生命は彼の手にあり、すべての人に肉に宿る霊も然り」。
この程度の単純な思想を変な訳文のお陰で無駄な時間を取られる。これらのことは「彼らはみな知っている」(同9節)。しかし、それをわざわざ言わなければならないところにヨブの友人たちにないする失望感がある。しかし、このことは私たちにとっても日常的な状況である。何故こんなに分かりきったことが分からないのだろうか。人間が開発した科学技術には当然限界があり、いつかは故障したり、使い物にならなくなるということを。

日々の聖句2013 04月09日(火)
主はその民の力。(詩28:8、口語訳)
キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。(コロ2:7)
私の黙想:
フランシスコ会訳では「わたしたちの」と訳され、そのヘブライ語についての詳しい説明がある。岩波訳では「あなたの民」と訳し異本では「彼の民」もあると注釈。要するに単数形であれ、複数形であれ、二人称であれ 三人称であれ、イスラエルの民を意味している。ヤハウェがイスラエルの力である。イスラエルの防衛力は軍事力ではない。一種の「神風信仰」。太平洋戦争では神風が吹くのを待てずに、国民を「神風」に仕立てた。安全保障問題と宗教との関係は複雑である。一億総玉砕主義(徹底抗戦)と無抵抗主義(戦争放棄思想)との間。思考停止。アポケー

日々の聖句2013 04月10日(水)
御旨を行うすべを教えてください。あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって安らかな地に導いてください。(詩143:10)
いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。(ヘブ13:9)
私の黙想:
「御旨を行うすべ」の「すべ」に引っかかる。御旨を行うのは術か。文語訳も口語訳も「行うこと」と訳し、フランシスコ会訳では「道」と訳されている。
もともと「すべ」とか「道」とかいう単語がここで用いられているのだろうか。確かに、「御旨を行う」ということについては、どうすることが「行う」ことになるのか迷う。御旨を行うということを実践の段階で考えると非常に難しい現実にぶち当たる。どう生きることが、あるいはどう行動することが御旨の実践になるのか、迷いに迷う。しかしその迷いを突破するのは技術だろうか。
このような生き方の本質に関わる事柄、それが宗教であるが、それをマニュアル化することは根本的に間違っている。たとえどういう生き方をしたとしても、それが神の御旨であるならば断固そのように生きるというのが信仰者の道であろう。その意味ではどう生きるか、という実践論は書けない。もし、書いたとしたら、その瞬間、それは「悪しき律法」になり、御旨の方が消えてしまう。

日々の聖句2013 04月11日(木)
わが主よ、わたしは責めさいなまれています。どうかわたしの保証人となってください。(イザ38:14)
御子と結ばれている人には永遠の命があります。(1ヨハ5:12)
私の黙想:
この人は今、確実な保証人を必要としている。保証人の必要な状況とは何か。その人のアイデンティティが危うくされている状況である。しかも、全ての人間の保証人は排除されている。その状況をこの人は「責めさいなまれている」という。「さいなむ」、随分古い言葉を持ち出したものだ。漢字で書くと「苛む、嘖む」と書く。意味は「いじめる、苦しめる、折檻する」。古い文語訳では 「迫りくるしめらる」と訳されている。口語訳、フランシスコ会訳では「虐げられている」。この人はユダの王ヒゼキアである。王が虐げられるというのも、似付かない。問題は誰が王を「責め、苦しめているのか」。嘖むという語には「良心の呵責」というニュアンスがある。自分の内に自分自身を責め苦しめている事柄がある。この時ヒゼキア王は「死の病」かかる。王は預言者イザヤに相談し、神に祈る。「どうかわたしの保証人になってください」。この時、神はイザヤを通して15年間寿命を延ばすと約束された。いわば「執行猶予」である。

日々の聖句2013 04月12日(金)
わたしは、彼らの間に一つのしるしをおき、彼らの中から生き残った者を諸国に遣わす。彼らはわたしの栄光を国々に伝える。(イザ66:19)
イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)
私の黙想:
全世界に宣べ伝えられる べき神。「わたしたちの神」は「世界の神」。宗教(わたしたちの信仰)による世界制覇。この発想の正当性と危険性。マイゴッドが部分的な神であるということに耐えられない。これは当然の心情。宗教における寛容性とは何か。わたしだけが救われたらいいということに基づく寛容性。キリスト者は、他人の救済に無関心でおれるのか。バルトは「われわれはわれわれの信仰を他人に要求しない」と言う。その意味は?

平位 全一 · バルトは、要求することはしなくても、勧めること、証しすることはしましたでしょう! 神学書を書く事自体が、そのような行為ではないでしょうか?

門叶 国泰 具体的に、(諸国民などという大きなことではなく)家庭内伝道に思いを馳せています。子供たちには配偶者がおり、配偶者には夫々の家族がおります。伝道とは、背中を見せることだけか、最後の伝道は死の時か、証しとは!

文屋 善明 日本にはいろいろなバルティアンがいます桑田秀延、菅円吉、滝川克己、井上良雄、小川圭治等々、それぞれが自分流のバルティアンで、ここにもう一人、佐藤優が登場したというわけです。わたしは若い頃からバルトには魅力を感じながら、バルトには距離を保って来ました。といって、ブルンナーも好きになれず、修士論文ではティリッヒを取り上げました。という訳でどうしても「哲学的、普遍的立場」を取ってきました。

文屋 善明 門叶さん、日本人にとってキリスト教とは「個人主義」のテキストであり、キリスト教に接することによって「家」から独立したという経緯がありますからね。日本のキリスト者にとって宗教とは個人のものという意識があります。

二上 英朗 まことに、イエスさまが「家庭に剣をもたらした」は真実ですね。ユダヤの2000年前においても。まして、現代の日本においてもや。

Akira Ueda Licht und Kraftは「生き残ったもの」が少数であることを前提に、しかしそのロウソクの炎のように小さなものが世界を照らす、と言っています。

大岩 正己 そんな時代でしたね。ぼくは個人的には、R. ニーバーに引かれましたね。

石井 良則 おおむかしは一家、一村?

文屋 善明 そういう状況の下でキリスト教が入っていくためには、「個人主義的信仰」を強調せざるを得なかったのだと思います。しかし、旧約聖書にせよ、新約聖書にせよ、欧米の教会にせよ、キリスト教はほとんど常に「家庭の宗教」あるいは種族の宗教として機能していたのだと思います。そこが、どうしても日本における宣教がもう一歩踏み込むためのエネルギーが不足する原因だと思います。

日々の聖句2013 04月13日(土)
主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。(詩31:24)
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。(1コリ13:6)
私の黙想:
「愛せよ」という命令文に引っかかる。「主の慈しみに生きる人」が主を愛さないということがあるのだろうか。いろいろ調べてみると、問題はそちらではなく前の方にあった。他の翻訳では「聖徒たちよ」とか「忠実な者よ」であった。それなら十分にあり得る。全ての聖徒必ずしもヤハウェを愛している訳ではないし、全ての「忠実な僕」が主を愛している訳ではない。経営陣に不満を持つ社員もいるし、反体制的な公務員もいる。お互いに不平、不満を言い合い、憎しみ会う夫婦もいるかも知れない。同じように、神を愛していない、あるいは愛することが出来ないキリスト者もいるだろう。「恐怖に襲われて、わたしは言いました。『御目の前から断たれた』と」(23節)。人間の愛は持続しない。23節の「それでもなお」が重要。それでもなお、愛し愛される「関係」は崩れない。

日々の聖句(今日のローズンゲン 2013-04-13)
今日のローズンゲンは、詩編31:24です。新共同訳「主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。」
字句分析:(1)新共同訳が「主の慈しみに生きる人」と訳した箇所の直訳は「his pious ones(BDB)」である。よって、口語訳・新改訳は「聖徒」と訳している。(2)関根正雄は「[主を愛せよ]という言い方は旧約では比較的珍しい」という。しかし、小林和夫はこの表現の例として、「詩編26:8、119:47、申6:5、10:12」をあげている。特に、申6:5「シェマー イスラエル」は最重要律法、関根正雄は何を指摘しているのだろうか?
対する新約は?コリント13:6「愛は不義を喜ばず、真実を喜ぶ。」

文屋 善明 小林和夫さんの引用箇所4箇所を検討しましたが、詩編の2箇所は直接に「主を愛せよ」ではなく、「主の戒め)等、間接的であり、申命記の2箇所はシェマーとの関連です。いわば「建前論」です。その意味では旧約聖書において「直接的に」主を愛するということには内面性が要求されているように思います。聖徒が主を愛するのはいわば当然のこと、時には建前論になります。それに対して詩31:24は内面的な愛を語っているように思います。

昨日のツイート 04/15

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お早ようございます。主の平和。午前中は説教準備。福音書の世界から使徒の世界への出口と入口。『色彩のない多崎つくる』を続読。仲間を信じるということ。仲間を切るということ。「記憶を隠すことができても、歴史(事実)を変えることはできない」。誰の記憶か。北朝鮮情勢は緊迫感が薄れる。9時半就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:14:07

萩野 秀子 おはようございます。晴れています。皿うどん、2人の弁当、唐揚げ、ほうれん草のおひたしを作りました。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈り致します。

Satoshi Tanaka 北朝鮮の緊迫感は、意図的に作られた緊迫感ではないかと思います。セプテンバーイレブンの時に、盛んにブッシュ政権が国民を煽ったように。ビジネスマンの集まりで、『このイラク戦争で多いに儲けましょう』と言っているビデオを見たことがあります。チェイニーやラムズフェルドは、国民の恐怖を駆り立て戦争を起こしたことで、多いに儲けたと言う話ですね。

今日の名言:RT @wisesaw:
人生において、万巻の書をよむより、 優れた人物に一人でも多く会うほうがどれだけ勉強になるか。 (小泉信三)
<一言>どういう人物を「優れた人物」と見るかは、世間の評価ではなく、自分自身の課題。そのためには「書を読む」ということが欠かせない。多くの小説を読み、いろいろな生き方を追体験し、思想書を読み、いろいろな価値観を学び、歴史書を読み、今の問題についての視点を得る。
posted at 05:50:55

門叶 国泰 優れた人物に会えたら、もっともっと書物を読むようになるでしょう。

糸原 由美子 優れたひとのみでなくあらゆる種類のひとに出会い、watchすることもなかなか面白く学べます。

文屋 善明 それは若いときからのあなたの特技でしたね。問題はwatchしてそれが自己形成になるのかどうかということです。

糸原 由美子 ある程度はなっていると思うのですが。まあ人のふり見て。。。の程度には

糸原 由美子 あ、でも覚えていてくださったのですね、私の特技!私も気付かなかったものをいち早く分析していただいた・・・あれ以来私はそれを持ちネタにしているかも。

文屋 善明 忘れるはずがありません。私にとって一番怖い存在でしたから。

糸原 由美子 うそー

「昨日のツイート 04/14」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/71480be871df9ea46edf5e3214e742b…
posted at 06:19:38

「今週のローズンゲン2013 04/07〜04/13」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/b84c1f6f9fce8a6bffa6ad74684621f…
posted at 06:39:19

日々の聖句2013 04月15日(月)
わたしの裁きを行い、わたしの掟に従って歩むなら、彼は父の罪のゆえに死ぬことはない。(エゼ18:17)
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ロマ14:8)
私の黙想:
この章はユダヤの格言から始まる。「先祖が酢いぶどうを食べれば子孫の歯が浮く」。この格言を二度と口にするなという。現在の不幸を先祖の行為の結果とするという歴史観を否定する。今、ここで、生きている人間の行為・生き方が問われている。憲法を成立過程の不義を問うことによって新しい憲法を作ろうという。そこには今、その憲法によって生きている国民の生き方、つまり憲法そのものの内容が無視されている。憲法の問題は過去ではなく現在である。現在、私たちがこの憲法の「内容」をどう理解し、どう生きているのか。この憲法によって「かろうじて」平和が維持されているという現実が重要である。

野間 悦三さん、春木 孝之さん、小泉 達彦さん、他23人が「いいね!」と言っています。

Satoshi Tanaka 全くその通りだと思います。なぜ、わたしたちがこれほどまでに憲法の精神を踏みにじり続けてきたのか、その無視し続けた過程の上に、彼らの言う『国を誇りと思う人が少なくなった』状況になっている事実を見据えなければならないと思います。本当は全くその逆で、憲法を尊重し続けてきたならば、わたしたちはこの国を美しい国と感じ、誇りを持って世界にアピールすることができたのだと思います。


文屋善明
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文芸春愁)を読了。非常に面白く、示唆に富んだ作品。丸二日でほとんど一気読み。心にとまった言葉をいくつか。
○ 限定された目的は人生を簡潔にする。
○ 歴史は消すことも、作り代えることもできないの。それはあなたという存在を殺すのとおなじだから。
○ 事実というものは砂に埋もれた都市のようなものだ。時間が経てば経つほど砂がますます深くなっていく場合もあるし、時間の経過とともに砂がふきはらわれ、その姿が明らかにされ来る場合もある。
○ 記憶を隠すことができても、歴史を変えることはできない。
○ 記憶に蓋をすることはできる。でも歴史を隠すことはできない。
○ 全てが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ。僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを信じることができる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない。

文屋 知明さん、嶋津 雅彦さん、万代 麻奈さん、他23人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
今日の散歩コースは「なまず公園となまず神社」 (写真22枚)
ツツジが目的でしたが、ツツジ(平戸)はまだチラホラ、来週辺りが見頃。その代わり藤が咲いていました。これも来週辺りが見頃。

濱 和弘さん、佐藤 清一さん、北村 良輔さん、他31人が「いいね!」と言っています。

Su Su kireii.

中井 信郎 そろそろ武雄の御船山楽園で、ツツジとフジがきれいになってくるでしょうね。

文屋 善明
一寸、間が開きすぎたので、竹下節子『無神論〜〜2000年の混沌と相克を超えて〜〜』(中央公論新社)をもう一度初めから読み始める。
著者は「はじめに」で「政教分離に至る危機の時代を象徴する鋭角的なエッフェル塔と豊かで丸いサクレ・クール聖堂が二つながら今日も観光客を魅了する国にいて、神から無神論が、無神論から神が、いつか互いに解き放たれて世界平和の力になる日を夢見て、この本は構想された」、と語る。

<補遺>特になし。

昨日のツイート 04/16 憲法9条についての対話

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お早ようございます。主の平和。『色彩の持たない多崎つくると彼の巡礼の年』を読了。5人グループのケミストリー(化学変化)。色彩がないとはどういうことなのか。本人と他の4人の理解のズレ。男3人と女2人との関わり方の違い。リスト作曲「巡礼の年」に拘っている彼とクロとシロの3人の関係。なぜ、「巡礼の年」なのか。読み方によって色々な局面を示す。読んだ後、色々考える面白さ。続いて竹下節子『無神論』を読み始める。10時就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:24:13

今日の名言:RT @meigenbot:
悲しみと苦痛は、やがて「人のために尽くす心」という美しい花を咲かせる土壌だと考えましょう。(ヘレン・ケラー)
<一言>何という美しい言葉だろうか。そう考えましょう。みんながそう考えたら、私たちの地球は美しい花で満ちるでしょう。
posted at 06:20:17

立部 瑞真 心にしみます。

大内 田鶴子 科学で直そうとしている人々が主流になりつつあります。どうしたらよいのか......。

佐藤 清一 文屋先生、おはようございます。言葉が私たちの心にもたらす力はすごいと痛感させられますが、望みを与えてくれる温かく力強い言葉ですね。

「昨日のツイート 04/15」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/30ea9261a4f918a3004f9294db832d5…
posted at 06:44:17

日々の聖句2013 04月16日(火)
武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。(ゼカ4:6)
清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。(2テモ2:22)
私の黙想:
バビロン捕囚から帰還した民に対する、民族再生へ向けての神の指針。

日本国憲法第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
?日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
?前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第11条【基本的人権の享有】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。

私たちはすごい憲法を手にしている。この二つの条において繰り返し「永久に」という言葉が使われている。第11条では「現在及び将来の国民」とまで規定されている。預言者ゼカリヤに託された言葉をそのまま現在の日本に適用されている。この憲法は「アメリカ発」というよりも「聖書発」というべきであろう。もし、これを棄てたら日本は永久に神から棄てられるであろう。

野間 悦三さん、佐藤 清一さん、冨永 勲さん、他19人が「いいね!」と言っています。

望月 克仁 文屋先生 いつも心に迫るメッセージを有難うございます。「これを棄てたら日本は永久に神から棄てられるであろう。」同感です。
ところで、上記の第9条?の「武力による威嚇又は〜」の「嚇」が抜けてしまいました。お時間のございます時に校正しておいて戴ければ幸いです。だれでもご存知の文章ですから、その必要もないかと思いましたが、私の大切にしている文屋先生の「日々の聖句・私の黙想」ですので、あえて記しました。

文屋 善明 ありがとうございます。「かつ」の字が見つかりませんでしたので、ひらがなのままにしておきました。「威嚇」です。あなたの文章からコピーして、単語登録しておきました。

望月 克仁 お手数をお掛けしました。有難うございました。

糸原 由美子 威嚇=いかくですね?威喝ではないですね?

文屋 善明 そうそう、感じの弱さが露呈してしまいました。「いかく」です。「いかく」で転換したら一発で「威嚇」が出て来ました。ありがとう。威喝は大声で叱ること、威嚇は武力でおどすこと。

Satoshi Tanaka 今まで、踏みにじられてきた憲法の旗を高く掲げ、この崇高な憲法を戴く日本国民であることを誇りとし、気高い民として世界に存在し続けることこそ、『誇り高い日本』の使命だと思います。決して、他の国と同じく常に戦争できる普通の国に転落するのではなく。これこそが、大戦で奪われた数千万人の命の悲願であり、そのときのことをわたしたちはもう忘れてしまったのか、と訴えたいと思います。

小野 周一 「聖書発」に感銘をうけました。憲法9条について思うのですが、戦後60数年の間に、解釈改憲が相当進んでしまったことも事実であります。この事実をキリスト者としてどのように受け止めるべきなのでしょうか?聖書から与えられた憲法、すなわち神様から与えられた憲法も随分変質してしまいました。自衛隊が海外で活動できるまでに変質しています。今また、現政権によって新たな解釈の変更が加えられようとの動きも出始めているようです。そういった現実に目を向ける時、現9条を守るべきと主張することの意味を考えさせられます。戦後長い時間を掛けて、ここまで9条への解釈が変わってきたことについて、私は、人間が根源的に持つ「弱さ」を感じます。もう一つは、現実の世界における日本の果たすべき(と期待されている)役割が60数年の間に変化してきたのも見逃せない、或いは避けられなかった事実なのかもしれないと思うのです。貿易立国として生きる他ない日本としては、世界が平和で貿易がスムーズに行える状況にあることが望ましいに決まっています。しかし、現実には海洋での主権を拡大しようとしている国が存在していることも無視できない事実であります。ひょっとすると輸入する石油を運んでくるタンカーの通り道を今よりもっと遠回りせざるを得なくなる可能性だって無い訳ではありません。そうなると石油の価格が更に上昇せざるを得なくなりかねません。
別の観点から、日本さえ平和なら良いのか?との疑問もぬぐえません。GNPが世界第3位の日本が一国平和主義を主張して、世界各国の理解が得られるのでしょうか?また、9条をかえることが即ち戦争ができる国→戦争をしたがる国になることを意味するのでしょうか?平和的に公正に自由に貿易ができる条件を守ることを、世界の人々のために一定の役割を日本国として果たさなくていいのでしょうか?現代に生きる人間村の住民として、近隣の人たちから支持されるのでしょうか?次から次へと疑問が湧いてきます。

文屋 善明 貿易による収益と恩恵とを以下にして世界の諸国に再分配できるのか、しかもそれをアメリカ(ドル)を媒介としないで直接に分配できる構造を作り出すこと。そこに鍵があるように思う。

お目覚めの花。「お早うございます」「今日も一日元気に過ごしましょう」「誰も見ていないようでも、神さまは私たちをご覧になっています」。<ほとんど、誰も訪れない福津市・大森神社(なまず神社)にて、ひっそりと咲く紫の花。その美しさに圧倒されました>

金丸 勝彦さん、塩澤 紀子さん、Richard Bakerさん、他33人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 目が覚めたぁ〜(^_-) 今日も、頑張っぺし!

村田 多鶴子 文屋先生、おはようございます。
いつも素敵な「お目覚めの花」で、目と心を潤してくださり、ありがとうございます。 そちらでは、早くも、つつじがこんなに咲いているのですね。(^^♪ 因みにつつじの花言葉は、「自制心」「節制」だそうです〜♪

文屋 善明 あ、痛い! 節制なき私。

安永 玲子 娘の名前は、さつき  自制心と節制に弱く、痩せられないでいますひっそりと咲いていませんが、私には美しく抱きしめたくなる優しさがあります。大きいので抱きしめられないけど・・(^^)

文屋 善明
今日のウオーキングはグローバルアリーナです。 (写真32枚)
先ずは表玄関から、選ぶのが面倒だ。全部出しちゃえ、ということで。

<補遺>
特になし。

昨日のツイート 04/17

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お早ようございます。主の平和。『無神論』を続読。ギリシャ・ローマ世界の無神論、ヨーロッパ中世の無神論。ここまでは民衆レベルと知識層とが分極し、それぞれの無神論が併存している。キリスト教が登場したとき無神論と見なされた。中世ではご利益、効能に基づく無神論。堕落した聖職と不信心者との無神論。グローバルアリーナを散歩。10時半就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:17:13

今日の名言:RT @meigenbot:
山が高いからといって、戻ってはならない。行けば超えられる。仕事が多いからといって、ひるんではいけない。行えば必ず終わるのだ。 (モンゴルの諺)
<一言>モンゴル出身の力士たちの「根性」を思い起こす。彼らはただ相撲に強いだけではなく、自己に対する厳しさにも強い。昔、新島先生も同じ思いでアメリカに渡ったのであろう。
posted at 06:05:56

金丸 勝彦さん、野間 悦三さん、春木 孝之さん、他26人が「いいね!」と言っています。

糸原 由美子 私は根性なしで、山もあと少しのところで下りたくなり、お産も臨月に止めたくなり、仕事も詰まるとパニックになって辞めたくなり、それでもどれも引き返せないので乗り越えました。

「昨日のツイート 04/16 憲法9条についての対話」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/b41ffe012636ba75f71403eeb28cd08…
posted at 06:46:21

日々の聖句2013 04月17日(水)
呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました。(詩138:3)
すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。(ロマ10:12)
私の黙想:
「呼び求める」が鍵。これは単に「祈る」ということではない。呼び求めるということには「自己破綻」あるいは「自力の限界」の意識がある。初めからの「あなた任せ」ではない。自力ではどうにもならなくなったとき、助けてくれる人(神)がいるということは心強い。「主は言われた。『わたしは(中略)、彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」(出3:7)。

金丸 勝彦さん、野間 悦三さん、春木 孝之さん、他24人が「いいね!」と言っています。

町田 勝彦 おはようございます。頂きました(_ _)

安永 玲子 自力の限界 頑張ってきた若い日を振り返り、感慨深い思いです。主を呼び求めて生きていける幸せを、新しい朝ごとに思い出していきたいと思います。

お目覚めの花。「ダンス、ダンス、ダンス」「ハアハア、目が回りそう」「あまり張り切りすぎないように」。

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金丸 勝彦さん、野間 悦三さん、Su Suさん、他38人が「いいね!」と言っています。

Su Su kirei desu ne.

糸原 由美子 フラダンスの衣装みたいですね

文屋 善明さんが早坂 明さんの写真をシェアしました。
アトムは泣いている。
アトムの涙?アニメの鉄腕アトムに手塚治さん不本意。原作のアトムは科学礼賛などではなく、むしろ科学万能社会への懐疑。

東京新聞4月17日

玉城 豊さん、金丸 勝彦さん、Satoshi Tanakaさん、他20人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
18時間前、福岡県宗像市周辺
今日は午後から一寸遠出をして、柿の里杷木から、筑後川周辺を見渡せる「山の上のホテル」に立ち寄り、白壁の町吉井を回ってただ今帰宅。写真は後ほど整理をしてアップする予定。

岸本 望さん、菊池 光徳さん、上野 博志さん、他18人が「いいね!」と言っています。

小磯 孝仁 文豪のホテル!いいですね!(^_-)

文屋 善明
杷木柿の里から昇竜観音、原鶴オルゴール館、白壁の町吉井町へ (写真63枚)
本日の収穫をぶっちゃけ。

文屋 善明
白壁の町吉井町 (写真15枚)
アップされていないので再投稿。

Seiko Takayamaさん、春木 孝之さん、Su Suさん、他25人が「いいね!」と言っています。

呉 光現 短波ラジオだ(^-^)

大垣 收ピーター SONY スカイセンサー! 無線機も欲しかった。35年程前の代物

<補遺>
うきはのパサロには何回も行っているのに、山の上の「ビューホテル平成」まで、行ったことがありませんでしたが、見上げると火大きな観音像がそびえているし、「オルゴール館」の看板も見えるので、思い切って登ってきました。とてもいい景色登った値打ちがありました。

文屋 善明
今日のロングドライブのお土産、楽器を演奏する梟楽団。後ろは乾杯の歌を歌うソリスト

春木 孝之さん、Su Suさん、北村 良輔さん、他25人が「いいね!」と言っています。

高橋 和子 えぇフクロウ可愛いいですね。

Su Su nice owl.

昨日のツイート 04/18

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お早ようございます。主の平和。『無神論』を続読。エラスムスとルターの論争。『痴愚神礼讃』、本来のキリスト教は単純なもの、真の宗教は痴愚の一つの形であるとする。プロテスタントが聖書を自由に読ませるようになってから、大量の矛盾点が明らかになってきた。ラブレーの『三人のペテン師』の登場。午後から浮羽地方へドライブ。11時就寝、6時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 06:09:34

今日の名言:RT @philokko:
一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。(ニーチェ)
<一言>これはニーチェの言葉です。皮肉ではありません。正真正銘のニーチェの言葉です。ニーチェはこんなことを考えながら毎朝目を覚ましていたのかな。だから、あんなに一生懸命キリスト教を批判し、世間を批判していたのだ。自分の言葉が、本当に悩み苦しんでいる誰か一人を喜ばせれば満足だと。
posted at 06:45:10

「昨日のツイート 04/17」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/828130d542eb884f2b9fc590a5483c1…
posted at 13:41:14

文屋 善明
日々の聖句2013 04月18日(木)
呼び求めるわたしに近づき、恐れるなと言ってください。(哀3:57)
神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしたちは、こう言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」(ヘブ13:5-6)
私の黙想:
聖書の神は「過干渉ではない」。どこまでも私を信じて手も口も出さない神である。一寸やそっとでは助けてくれない。今日の聖句は何度も何度も呼びかけても姿を現さない神に対する「最終的な呼びかけ」。しかしいよいよというとき、必ず近づき、「恐れるな」と言って下さる。参照:マタイ14:31。
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大野 泰男さん、丸山 順子さん、村田 多鶴子さん、他21人が「いいね!」と言っています。

お目覚めの花。「今日はお目覚めのため、謎かけです」「私たちを花と見るか、果物と見るか、野菜と見るか」「あなたならどっち」「プチトマト、山と積もれば、華になる」。

村田 多鶴子さん、畑中 康慶さん、木下 豊さん、他38人が「いいね!」と言っています。

清水 晴好 答;野菜です。

文屋 善明 確かにスーパーの野菜売場で撮った写真です。では、菊の花が野菜売場におかれていたら野菜ですか。

清水 晴好 食用ならば、そうです。W

水草 修治 もともとトマトは観賞用に日本に輸入されたと聞いたことがあります。

文屋 善明 では、野菜かどうか、その本質を決めるのは買い手(利用者)ではなく売り手だということになりますね。

清水 晴好 菊の場合ですと、観賞用のものは食用に適さない農薬が使用されている場合がありますので、花屋で買った菊を食べるのはお薦めできません。(「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」かもしれませんが)

してみると、野菜か花かを決めるのは売り手以前に生産者なのかとも思います。

野口 富隆 トマトは料理の味付けに最適ですね‼

文屋 善明 私は弁当に入っているプチトマトはデザート、食卓の皿の上のプチトマトは「宝石のような」装飾品と思っています。普通のトマトは野菜、潰してしまったらソース、食事以外で食べるときは果物です。
それにしても、この映像は私の眼を捉えました。

松沢 直樹 神様は、生きるために豊かな食を用意してくださっているのだなあ、と思いました

堀 俊子 おはようございます。トマト分かちたまえ(=^..^=)ミャー

Su Su ohayoo gozaimasu kirei tomato desu ne.

万代 麻奈 トマトマ・トーマー・トーマー・トマトがゆくよ〜♪

文屋 善明 どうだい花だろう?

万代 麻奈 トマトがトマってる( *´艸`)

文屋 善明 そういう場合には「トマトがとまっとるー」だろう。

文屋 善明 清水さん、万代麻奈は私の姪です。

万代 麻奈 あっそっか。さすがおじ様!コメント的(まと)えてますね。

畑中 康慶 あざやかで、きれいです。

文屋 善明さんが大脇 友弘さんのリンクをシェアしました。
憲法改悪問題、的確で解りやすい。

憲法メディアフォーラム - 憲法をめぐるニュース配信サイト www.kenpou-media.jp
日本マスコミ文化情報労組会議 (MIC) と日本ジャーナリスト会議 (JCJ) は、国民の目となり、耳とならなければならないメディアに直接関わっている労働者、市民として、多くの人たちに呼びかけるホームページを立ち上げることにしました。名づけて<平和憲法を世界に!メディアフォーラム> ( 略称:憲法メディア ) です。

玉城 豊さん、村田 多鶴子さん、野間 悦三さん、他10人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 私としては、大脇 友弘さんのコメントが大切なので、全文そのまま引用しておきます。
  こんにちは!僕は「憲法97条」。聞いたことないって?こう書いてあるんだよ。
  「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
  「堅苦くて翻訳みたーい」とか「11条とそっくりじゃん」とか言われてるけど(笑)。
  最近、隣の「96条」ちゃんが、いろんな人たちから「お前がウザイから憲法改正ができないんだ」っていじめられてるみたい。何だか僕も居心地が悪いけど、きっと「憲法を変えて基本的人権なんかなくしちゃって、何でも言うことを聞く国民にしてやろう」っていう悪い権力者が出てきて、「96条」ちゃんをひどい目にあわせようとするときに、「憲法を変えるとしても、これだけは変えちゃダメってことがあるんだからね」って急いで助けに行くために、僕がここにいるんだと思う。そう思って読んでごらんよ。この憲法をつくった人たちの気持ちがじんわり伝わってきて、目頭熱くなったりしないかい?
  え?ジミントウの「カイセイソーアン」じゃ、僕なんか改正どころか全文削除だって? さみしいなぁ…イタイところを突いてるから嫌われてるのかなぁ…。

<補遺>
特になし。

昨日のツイート 04/19

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お早ようございます。主の平和。『無神論』を続読。18世紀ヨーロッパにおける教会離れ。教会批判としての無神論。ジャン・メリエ司祭が残した遺言の衝撃。「物質主義的無神論哲学」。外出せず。夜は久しぶりにTV「ダブルス(二人の刑事)」を見た。伊藤英明と坂口憲二が好演。10時半就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:06:45

今日の名言:「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝、「だから、何?」を「おめでとう」と言うのが賞賛、「もう、ダメだ」を「これからだ」と言うのが希望、「なりたいな」を「なってやる」と言うのが決意、もういいや」を「まだ待とう」と言うのが忍耐。言葉だけでも認識は変わる。
<一言>一言は不要。
posted at 05:51:49

「昨日のツイート 04/18」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/d59f280649700617ac89548726caa5b…
posted at 06:29:13

日々の聖句2013 04月19日(金)
耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。(レビ19:14)
神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。(1テサ4:7-8)
私の黙想:
今日の聖句は社会的弱者に対する当然の姿勢を語る。隣人の弱みに対する態度は神に対する態度に通じる。
新自由主義、市場経済、経済における自由競争が語られ、問われる。ここで見落とされてはならない最も重要且つ根本的な掟、社会を成立させている根本原理、それは弱者に対する配慮である。弱者に対する配慮が失われた社会は、共に生きる人間の共同体ではなく、弱肉強食のジャングルである。一般大衆(=国民)を「耳の聞こえない」「目の見えない」状況に押し込んで、国民が汗水流して納めた税金を自由気ままに食い散らす権力構造は、もはや国家とは言えない。

金丸 勝彦さん、野間 悦三さん、石垣 進さん、他30人が「いいね!」と言っています。

Satoshi Tanaka 全く同意です。Science Fridayと言う番組では、ボノボう猿でさえ、他者が不公平に扱われたと言うこと対して憤りを覚えることをレポートしていました。http://www.sciencefriday.com/segment/04/05/2013/-searching-for-the-roots-of-right-and-wrong.html 今の日本が向かおうとしているのは、猿以下の社会でしょうか?

Searching for the Roots of 'Right' and 'Wrong'
www.sciencefriday.com
Primatologist Frans de Waal explores the origins of morality in The Bonobo and the Atheist.

お目覚めの花。「私たちの名前はハナシノブなんだって」「へー、私たちにも名前があるの、ただの山野草なのに」「皇后陛下さまゆかりの花なんだって」「へー、そんな高貴な方が」「うれしいね」「でも、喜んでばかりおれないのよ。私たちは絶滅危惧種なんだって。「何よ、それって」。

金丸 勝彦さん、木下 海龍さん、野間 悦三さん、他33人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 元気が出る!今日も、シャキッと元気で、頑張っぺし!

岡田 良一 花を偲ぶですね!
急ぎ慌てて生活するばかりでなく、ゆっくり歩いて生活する事の重要性を感じます。

文屋 善明さんが服部 弘一郎さんのリンクをシェアしました。
今の中国はもはや「孔子の国」ではありません。

「いらっしゃいませ」と言えない中国人とイトーヨーカ堂、苦闘の記録(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース
www.excite.co.jp
『「いらっしゃいませ」と言えない国中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂』は、10年以上にも及ぶヨーカ堂中国進出を記録したノンフィクションだ。海を挟んだ隣国とは言え、日中間には非常に大きな文化の違いが...
1いいね! · · 宣伝する · シェア
野間 悦三さん、畑中 康慶さん、萩野 秀子 さん、他19人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 やはり場所にあったことをしないといけないと思います。へりくだる気持ち大切だと思います。

先日、うきはで買って来たリンゴを使って、ジャムを作りました。近ごろは、家内との共同作業です。とても美味しいジャムが出来上がりました。 (写真4枚)

松浦 裕介さん、金丸 勝彦さん、森田 美芽さん、他44人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 食べたい。

萩野 秀子 楽しみですね。

松井 貴志 ジャムおじさんですね(^o^)

文屋 善明 お爺さん、お婆さんでしょう。

文屋 善明さんが涙が止まらないさんの写真をシェアしました。
15時間前
言葉がありません。
「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」


ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら



この詩の作者は山田康文くん。

生まれた時から全身が不自由で書くことも話すことも出来ない。

養護学校の向野先生が康文くんを抱きしめ投げかける言葉が康文くんのいいたい言葉の場合はウインクでイエス、 ノーの時は康文くんが舌を出す。

出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで1ヶ月かかったという。

気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。

この母を思いやる切ないまでの美しい心に対して、母親の信子さんも、彼のために詩を作りました。



わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
"重くはない"と聞いている
あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり



このお母さんの心を受け止めるようにして、康文君は、先に作った詩に続く詩をまた作りました。



ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり



 康文くんは重度の脳性マヒで8歳の時、奈良の明日香養護学校に入学しました。

不自由児のための特殊学校で、康文くんも母子入学でした。

康文くんは明るい子でクラスの人気者になりました。

1975年4月には体の不自由な子供達が集う「タンポポの会」が「わたぼうしコンサート」を開き、康文くんの詩が披露されました。

 このコンサートはテレビ、ラジオでも取上げられ森昌子さんが康文くんの詩を歌いました。

 このコンサートのあと、康文くんは突然天国に行ってしまいました。

窒息死でした。

横になって寝ていたとき、枕が顔を覆ってしまったのです。

15歳の誕生日を迎えた直後だったそうです。


 康文くんの先生で、この本の著者の向野幾代さんは復刊にあたって「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』なんて、言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。

今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。


いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。  

『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。

歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、知的障害になったり・・・健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。

だから康文くんたちは私たちの先輩。

世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」と・・・


向野幾世著 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』より
(詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、障害児本人の作品であり、原文を尊重しました。)


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この詩を読んだ時、涙が止まりませんでした。

と同時に怒りがこみ上げて来ました。

「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」

と言わせてしまうこの社会に。

まだまだ日本は、障害者という特別な目で見る風潮があります。

この環境を少しずつでも変えて行きたいですね。

生まれてごめんなさいなんて言わせないと思ったらシェアお願いします。

金丸 勝彦さん、木下 海龍さん、望月 克仁さん、他21人が「いいね!」と言っています。

黒田 聖司 読ませていただきました。ほんとに言葉がありません。シェアさせてください。

萩野 秀子 神様がどんな子供にも苦難、喜びはあります。必要だから生まれてきました。決して必要でない人はいません。助け合い、教えるあいです。

Satoshi Tanaka シェアさせて頂きます。

<補遺>特になし。

昨日のツイート 04/20

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お早ようございます。主の平和。『無神論』を続読。19世紀、フォイエルバッハの「人間の類的本質の自己疎外」。20世紀、レーニンの唯物論、共産圏における宗教打倒政策。現代日本の問題点、無神論なき文化、和魂洋才において「洋魂」を受け入れなかった利点。アメリカの特異性。外出せず。夜は唐沢寿明主演「TAKE FIVE」を見て11時半就寝、5時半起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:37:32

今日の名言:RT @wisesaw:
人は生きねばならぬ。 生きるためには戦わねばならぬ。 名は揚げねばならぬ。金はもうけねばならぬ。 命がけの勝負はしなければならぬ。(徳富蘆花)
<一言>今朝の言葉は決して「名言」ではありません。明治の日本人はそんなに気負っていたのですかね。これは現代風に言うと、「ねばならぬ」症候群、一種の「時代病」。
posted at 06:17:12

金丸 勝彦さん、野間 悦三さん、大岩 正己さん、他16人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 RT@wisesawというのはなんですか?

文屋 善明 ツイッターでの「名言集.com」のアドレスのようです。

文屋 善明 私の「名言bot」には27のbotが登録されており、それらが逐次「名言」が送られてきます。それを朝一番上から、つまり細心のものから順番に読んでいき、心に響いたときにそれを取り上げて考えることにしています。そのための所要時間は、毎朝変化しますが、だいたい10分ぐらいにおさめるようにしています。

「昨日のツイート 04/19」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/0366b1c7e9a69e36efd90e9b64906d3…
posted at 06:52:11

日々の聖句2013 04月20日(土)
神はわたしたちの知りえない、大きな業を成し遂げられる。(ヨブ37:5)
イエスの言葉:目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。(ルカ7:22-23)
私の黙想:
これは古代人の雷体験であろう。自然現象の規模の大きさを知れば知るほど、驚き、神の「知り得ない大きさ」を実感する。これは現代人も同じ。
マグマの活動、トラフの危険性、富士山の爆発、まさに自然現象は人間の想定をはるかに超えている。宇宙衛星といい、宇宙旅行を夢見るが、そこで言う「宇宙」とは地球の引力内の出来事である。人間はブラックボックスと言い、ビッグバーンを想像するが、それらは私たちの実感をはるかに超えた現象であり、「わたしたちの知り得ない」こであり、神がなされた「大きな業」としか言えない。

「昨日のツイート 04/19」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/03661b1c7e9a69e36efd90e9b64906d3


今日の名言:Rt. @kotoba_bot 「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝、「だから、なに?」を「おめでとう」と言うのが賞賛、「もう、ダメだ」を「これからだ」と言うのが希望、「なりたいな」を「なってやる」と言うのが決意、「もういいや」を「まだ待とう」と言うのが忍耐...

金丸 勝彦さん、Su Suさん、野間 悦三さん、他13人が「いいね!」と言っています。

望月 克仁 「もういいや」を「まだ待とう」と言うのが忍耐。言葉だけでも認識は変わる。「できてないナー」、反省。今朝も有難うございました。

今日は筑紫野市の武蔵寺に藤を見に出かけようとして車に乗り込みましたが、雨がポツリポツリで止めました。雨の日の藤は寂しいですからね。

金丸 勝彦さん、安部 勉さん、野間 悦三さん、他17人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 雨の日の藤は本当に寂しいです〜。 その上、(雨では)気温も下がっていくことでしょうから、中止されてよかったように思います。

NHKニュース速報(Web)
中国四川省でM7.0の地震 4月20日 9時44分
中国内陸部の四川省で、日本時間の20日午前9時すぎ、マグニチュード7.0の地震がありました。中国国営の新華社通信によりますと、中国四川省の雅安で、日本時間の20日午前9時2分、地震がありました。
中国地震局は、震源の深さは13キロ、地震の規模を示すマグニチュードは7.0としています。この地震による被害は今のところ分かっていません。
中国の四川省では、5年前にも大地震が発生し、8万人を超える死者行方不明者を出しました。

大野 泰男さん、金丸 勝彦さん、望月 克仁さん、他13人が「いいね!」と言っています。

臼田 宣弘 マグニチュード7.0というのは阪神淡路クラスです。震源地が人口密集地であるならかなりの被害が予想されます。

佐藤 清一 心痛と不安の中にある人たちを覚えて、まずは祈りたいと思います。

<補遺>
特になし。

昨日のツイート 04/21

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お早ようございます。主の平和。『無神論』を続読。「はじめに」から「あとがき」まで280頁の内、162頁までが第1部で、それ以後が第2部になっている。第1部は無神論の歴史が扱われ、ここまででほとんど全ての問題が論じ尽くされている。読んでいて面白いのは第2部で、無神論についての色々なテーマが取り上げられている。夜は仲村トオル演じる「アナザーフェイス」を見る。なかなか見応えがあった。11時半就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:11:05

今日の名言:RT @KarlMarxbot:
地主たちは、すべての人間と同様、自分が種をまかなかったところでも収穫をしたがるし、土地の自然な産物に対しても地代を要求する。
<一言>マルクスにおいて経済(生産)活動の主体は資本家と労働者と地主である。現在では地主とは誰だろうか。
posted at 05:58:08

「昨日のツイート 04/20」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/0c2995b5bd8961cdb60bbd429e4540f…
posted at 06:34:12

日々の聖句2013 04月21日(日)
主よ、わたしたちを御心に留め、祝福してください。(詩115:12)
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。(ルカ12:28)
私の黙想:
「祝福してください」という言葉が私の心に留まった。「心に留まる」ということは、そのことを意識し、存在を認め、そのことについて配慮することである。「祝福」ということについて考えるとき、イサクに向かって、悲痛な叫びをあげて激しく泣き「このわたしをも祝福してください」と訴えたエサウを思い出す(創世記27:34)。祝福という行為には「霊を与える」という意味が込められている。サウル王が神の言葉に従わなかったとき、「主の霊がサウルから離れた」(1サムエル16:14)。祝福がキャンセルされることもある。つまり祝福が取り上げられる。
キリスト教における重要な儀式に「信徒按手」「聖職按手」「主教按手」という行為がある。これは「祝福の伝達」という意味が込められている。聖職者になるということは「祝福の伝達」に参加すること、祝福された者になるということである。最も悲劇的な人生は、人の目には聖職という地位に立ちつつ、祝福を取り上げられて生きるということである。

金丸 勝彦さん、三浦 三千春さん、野間 悦三さん、他34人が「いいね!」と言っています。

お目覚めの花。「今日は復活節第4主日です」「喜びの主日とも言われているよ」「わたしたちはいつも喜んでいるよ」「そうじゃなくて、今日は特別に喜ぶ日です」「何を喜べっていうの」「う〜〜ん、だから〜、何を喜ぶのか考えろ、っていう日でじゃないの」。

金丸 勝彦さん、佐藤 静代さん、安永 玲子さん、他28人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 「ユビラーテ」。モーツアルトの「エクスターテ・ユビラーテ」を思います。今朝の奨励の冒頭の言葉とします。感謝!

Satoshi Tanaka うまいっ!座布団2枚!って言いたくなりましたが、不真面目ですかね。

文屋 知明 ハイ!この歳人なって、よろけんで、よろこんで生きます。(因みに、「よろけんで・・」とは、よろけることなく・・の意:「よろけんでや〜!」と言われてます)。ヨボヨボ・・!

文屋 善明 モーツアルトは「踊れ、喜べ」と言っていますよ。音楽家がヨロヨロしていてどうする。

文屋 知明 ハイハイ!昨日は、「空手道場」で、今日は、筋肉痛でヨレヨレです。

文屋 善明 ハイハイするのは赤ちゃんだけです。

文屋 善明さんが東京新聞を(勝手に)世界イチにする会さんの写真をシェアしました。
原子力ムラのボスが小出先生にアプローチ。彼らは何を考えているのか。何しろ汚染水を平気で海に投棄する連中である。小出先生を守れ。
◆脱原発のココロ 「ムラ」も無視できぬ存在
 京大原子炉実験所助教 小出裕章さん(62)
 (2012年1月9日 東京新聞)

昨年10月30日、東京都港区のJR浜松町駅近くの喫茶店。京都大学原子炉実験炉助教の小出裕章(62)は約2時間、日本原子力学会会長で東京大学大学院教授の田中知(さとる)らと向き合った。

東京電力福島第一原発事故後、原発の危険性を訴え続けて40年の小出は『不屈の研究者」として広く知られるようになった。一方の田中は、原発を推進することで互いに利益を得る企業や研究者の排他的集団「原子力ムラ」の中心人物だ。

「原子力の学問をどうしたらいいか」と問われた小出は諄々(じゅんじゅん)と説いた。「原子力を推進するような学問はすべてやめるべきだ。ただ、今回の事故処理、使用済み核燃料、各原発の廃炉の問題などが残っている。これら負の遺産を乗り越えるための専門家を育成する必要がある。」

面談を申し入れたのは田中側だ。小出は多忙を理由に一度は断るが、再三の申し入れに根負けし、上京した際に時間をつくった。

田中は、面談の狙いについて「東大グローバルCOEの活動の一環で、いろんな人の意見を聞いている」と説明する。グローバルCOEとは、大学院の先端研究拠点を文部科学省が重点支援する事業のこと。田中らの拠点の名前は、「世界を先導する原子力教育研究イニシアチブ」だ。

小出の主張は届いたか。田中は「今はノーコメント。シンポジウムなどで成果を公表する機会はあるかもしれない」と言葉少なだ。

小出自身もかつては原子力学会に所属していたが、30年前、関西電力の副社長が会長に就任したのを機に脱会した。学会誌から名指しで批判され、小出の反論文を載せる、載せないでもめたこともある。いわば因縁の相手だ。

小出は皮肉交じりに田中らの意図を推し量る。「東大は原子力を推進してきた学問の中心、学会は安全神話一辺倒の集まり。私のことは無視すればよかったが、事故が起きてからはそうもいかなくなった。彼らも、ものすごい危機感を感じている。懲りずに推進の旗を振ろうとするだろうが、少なくとも私の意見を聞いたという形を作らざるを得なくなった。

「こちら特法部」は福島事故発生翌日の昨年3月12日、いち早く小出に電話した。小出は「政府や電力会社の説明はウソだった。もういいかげん、原発はやめろと言いたい」と声を荒げた。4月9日の特報面では単独インタビュー記事を掲載した。

■講演の参加者 急増1000人規模

その後の活躍は、「小出ブーム」といっても過言ではない。毎週末は講演で全国各地を飛び回る。すでに3月末まで予定はいっぱいだ。事故前にもこなしていたが、参加者は10数人、多くても100人程度。それが事故後は1000人規模も珍しくない。講演内容をまとめた「小出本」は16冊も発行され、ネット上にはファンサイトも登場した。マスコミの取材も引きも切らない。

「とてつもなく忙しくなった。自分の仕事も手が付けられない状態だ。」助教は昔で言うところの助手。事故前まで、助教よりも教授の方がありがたがられた。それが一転、事故を過小評価した「御用学者」の権威は失墜。放射能の恐怖におびえる人たちは、小出の言葉に救いを求めた。ついには、「原子力学会会長までが「小出詣で」に出かけたのだ。


◆今度こそ止めたい
「収束宣言」でも事故は進行中

自身は「小出ブーム」をどう見ているのか。
「事故を引き起こした東京電力と政府は犯罪者だ。犯罪者が自らの罪をきっちり言うことなどあり得ない。小さく、小さく見せようとする。情報は隠す。それは3.11から今日まで全く変わっていない。だから私のような人間の話を聞きに来る。ありがたいとは思うが、こんなことにならなければ良かったと思う」

英雄視されることを極端に嫌う。

「運動の指導者になれとか、もっと政治とコンタクト取れとか、様々なことを言ってくる人がいるが、政治もヒーローも大嫌いだ」

事故後、原子力政策や再生可能エネルギーに関する政府の審議会や委員会のメンバーに、原発に批判的な学者が起用されるようになったが、小出は「あまり興味がない。私には声はかからないし、かかってもやらない」と素っ気ない。

『万年助手』の清貧な雰囲気に変化はない。大阪府熊取町の京大原子炉実験所の研究室は昼なお暗く、エアコンは「スイッチを入れたことがない。たぶん壊れている」。

学内には「御用学者」のレッテルを張られた教授もいるが、「そういう人たちは私とすれ違う時は横を向いている。事故後も相変わらずだ」。

1979年の米スリーマイル島事故、86年の旧ソ連チェルノブイリ事故、99年の東海村臨界事故・・・。大事故のたびに、反原発運動は盛り上がるが、いずれも尻つぼみに終わってきた。今度こそ勝てるのか。原発を止められるのか。

「今までにない広がりで原発を考えてくれるようになった。ここまで来たんだから、今度こそは止めたい。でも、政府や電力会社の圧倒的な力の前に、私は負け続けてきた。今、この戦いに勝てるかと問われれば、大変不安だ」

首相の野田佳彦は昨年12月16日、「事故収束」を高らかに宣言した。政府と電力会社は原発の再稼働をあきらめていない。

「事故は進行中だ。溶けた核燃料は原子炉格納容器の底を突きぬけているかもしれない。東電の発表によれば、格納容器床面のコンクリートを最大65センチ溶かしているが、外殻の鋼板まで37センチの余裕があるという。これは単なる計算に過ぎない。仮定の置き方で答えればいくらでも変わる」

「火力発電所と水力発電所があれば電力は足りるのに、政府と電力会社は毎日のように『停電するぞ、節電しろよ』というウソの宣伝を流し続けている。多くの人が、また騙されようとしているように感じる」

■「何かしたい」 思いを行動に!

「収束宣言」の翌日、北九州市内で、小出の講演会が開催された。ある女性が質問した。

「3.11以来、何かしなければいけないという気持ちがあったが、何もしていない。何かできますか」

小出はこう答えた。

「こういう集会に行くと、『どうしたら原発をなくせるか』と聞かれるが、知っていればやっている。私は、原子力の学問の場にいる人間としてやらなければならないことを続ける。歌のうまい人は歌えばいい。署名もデモも一つの手段だ。これだけは自分がやりたいと思うことを、皆さんがやるようになった時、原発は必ず止まる」
(敬称略 佐藤圭)

玉城 豊さん、清水 晴好さん、野間 悦三さん、他15人が「いいね!」と言っています。

玉城 豊 「自分のできることをやる」(小出裕章さん)。シェアさせてください。

筑紫野市の武蔵寺の藤と石楠花 (写真72枚)
今日午後から、昨日雨のため行けなかった武蔵寺の藤と石楠花を見に出かけました。

金丸 勝彦さん、佐藤 静代さん、朴 栄子さん、他34人が「いいね!」と言っています。

<補遺>特になし。

昨日のツイート 04/22 大学授業料問題と奨学金問題

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お早ようございます。主の平和。午前中は説教の準備。昇天物語について考える。午後から筑紫野市の武蔵寺と天拜公園に出かける。武蔵寺の「長者の藤」はさすがに見事だ。天拜公園は敷地が広く、山あり、池あり、良い公園だ。夜は「空飛ぶ広報室」を見る。航空自衛隊の物語。「憧れの航空隊」のPR。つまらないので途中でダウン。9時半就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:03:40

今日の名言:RT @wisesaw:
金のある者は、金があるために不正をし、 金のない者は、金がないために不正なことをする。(武者小路 実篤)
<一言>後者は許せるが前者は絶対に許せない。しかし現実は前者が後者を犯罪者という。この現実は間違っている。
posted at 05:52:39

「昨日のツイート 04/21」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/238755c03bd92a1dbb00e61f8047422…
posted at 06:32:41

おお、空を見上げる余裕が出て来ましたかね。RT @takako319: 空めっちゃきれい♪( ´▽`)
posted at 19:01:06

日々の聖句2013 04月22日(月)
わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。(レビ26:12)
神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせました。(コロ1:19)
私の黙想:
約束の地での幸せな生活の約束。あなたたちは食物に飽き足り、国のうちで平穏に暮らすことができる。わたしは国に平安を与え、あなたたちは脅かされることなく安眠することができる(5-6a )。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちに子を生ませ、その数を増し、あなたたちとわたしの契約を立てる。あなたたちは前年の穀物を食べ尽くさぬうちに、それを倉から運び出して、新穀を倉に納めるようになる(9-10)。
それにしても、そのために犠牲になる側から見るとたまったものじゃない。「わたしはまた、猛獣を国から一掃し、剣が国を荒廃させることはない。あなたたちは敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす。あなたたちは五人で百人の敵を、百人で一万の敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす」(6b-8)と言う。凄まじい。
こういう激しい言葉が「あなたたちは脅かされることなく安眠することができる」という言葉と並んで語られる。こういう言葉を「神の言葉」として聞き、教えられ、育った人間を考えると恐ろしくなる。イエスが育った環境がこれである。その中でイエスはそれを反面教師として「平和の神学」を求めた。

金丸 勝彦さん、豊田 滋さん、藤井 衞さん、他23人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 長〜い!早よ、作曲せな〜! いいね!押しとくわ・・!

文屋 善明 70パーセントは聖書の言葉だぞ。あんた聖書の言葉を馬鹿にするのか。しっかり読め。

文屋 知明 要約してほしいけど、お叱りをうけるので、「ようやく」読みました。「寒〜!」

町田 勝彦 ご兄弟ですか。いいですね。(^-^)

文屋 知明 町田さん、父母同一の兄弟ですワ!多分!よく、間違われますので念のため、私が愚弟です。おそらく、両親には、私の脳を形成する細胞(?)が枯渇してたのと思われます。

町田 勝彦 (^O^)

文屋 知明 町田さん。「いいね!」はどの部分を了解されたのでしょうか(愚問)?

町田 勝彦 (*^_^*)

文屋 知明 町田さん、お忙しい所すみませんでした。顔のマークで分かりました。「二人とも大阪人と言うこと・・・」(^^♪

町田 勝彦 善明先生には、私がまだ若かった頃のことですが、アカデミーで女性を紹介していただいたり (私が若すぎてその気にならなかった) 仕事を手伝ってくださったりしたのですが、全然覚えておられませんでした。ショックをうけましたが、ここでお付き合いさせて頂き少しは慰めになっております。(^O^)

文屋 善明 私は音楽の才能を取り損なってしもうて、それを全部賢弟が取ってしまったようですねん。世に言う残り福ちゅうのでしょうね。

文屋 知明 それにしても、残りが少なかったな〜!

お目覚めの花。
「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません」
「 むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです」(1ペト 3:3-4)。

金丸 勝彦さん、大野 泰男さん、安永 玲子さん、他30人が「いいね!」と言っています。

藤井 衞 文屋さん、長い間のご無沙汰です。旧姓花谷です。FBでお会いあできるとはうれしいです。今、神奈川県に住んでいます。

文屋 善明 おお、花谷君、元気そうですね。今どうしている?

藤井 衞 YMCA〜社会福祉法人賛育会〜障害者福祉の現場と定年なしで社会貢献しています。

文屋 善明 良い仕事をしていますね。卒業後ズーとYMCAですね。これからも良きお交わりをお願いいたします。

文屋 善明さんが湯浅 誠さんの写真をシェアしました。
これは酷い。これでは、大学教育が「人のため、社会のため、世界のため」という至高な目的から外れ「自分のため」になってしまっている。
土日、河合塾の北九州校と福岡校でゲスト講義。
これから大学に入ろうとする人たち相手だったので、大学授業料の話から入った。
河合塾の先生たちに入学年度とそのときの大学授業料を聞いた。
一番年配の先生が1960年入学で学費年間9000円、次が1968年12000円、次が1976年96000円、次が1985年22万円、そして私が1989年で32万円、で今が55万円。
50年で50倍超。
ちなみに、朝日新聞は1970年前後は900円で、いま4000円弱。4倍強。
お米1俵(60kg)の生産者売渡価格は1972年9030円、2010年9000円。1倍弱。
お米も異常、大学も異常。

玉城 豊さん、金丸 勝彦さん、藤井 衞さん、他20人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。大学に入るために殆どの子供が予備校に行っているのが現状です。私の子供も3年間現役予備校に通い約200万円近く払いました。これが格差なのかな?

峯田 敏幸 私の娘がこの3月に卒業した美大は年間180万円です。貧乏人には本当に辛い金額です。奨学金という重い借金を背負いました。しかし、まわりの学生たちは海外旅行の話を平気でする人たちばかりだったようで、格差社会は目の前の現実でした。

松沢 直樹 私の世代ですら、すでに国立大学じゃないと大学進学はムリという家庭が多かったですからね。唯一の救いは、国公立大学はまだ授業料が安く、奨学金が運よく取れれば、返済義務が無かったことでしょうか。それでも大学進学をあきらめなければいけない方も多かったですが

村山 茂樹 · 我が家で子供が出来たら、大学は国公立のみ、という方針を既に決めてますよ。しかも、受験指導は受験産業を使わずに私が、という予定も織り込み済みで。

松沢 直樹 海外の、外国人でも授業料無償の大学に進学するのもいいかもしれないですね。おそらく、国内だけでは仕事が成り立たなくなっているでしょうから。考えてみれば、戦前も京城帝国大学や、台北帝国大学や東亜同文書院なんてとこに進学する方がいたわけですから。僕も、海外の大学で学んだことは多いです

文屋 善明 わたしたち(後期高齢者世代)の時代と比べると、私立に対する国立の値上がりは非常に大きい。つまり、国立と私立との格差が少なくなった。(孫が一人国立で、もう一人が私立)

松沢 直樹 受験生の指導をボランティアでやっていましたが、国立大学の学費の値上がりにびっくりしました。昔は、私立大学でも、そこまで授業料が高くなかったんじゃないかと

村山 茂樹 · 私の世代で、半期でたったの12万5千円でしたからねぇ。

文屋 善明 私の漠然として印象では10対1ぐらいの差が、現在では2対1ぐらい。それに日本育英会の比率が大きかったと思います。

松沢 直樹 たしかそれくらいでしたよね。もっとも、それが払えなくなって中退せざるをなくなったのですが^^;
就職して、欧州の大学に再入学しましたが、大学教育の制度やサポートの違いに、ずいぶん驚いた記憶があります。

松沢 直樹 私の経験からの話ですが、可能であれば、在学中は、お金の心配をせずに学業だけに打ちこめるほうが絶対にいいと思います。理系の学部に通っていたので、生活費と学費と弟の学費と母の入院費を捻出する時間に忙殺されて、日本の大学で勉強したことはほとんど身になっていません。

村山 茂樹 · 今は、学生支援機構(旧日本育英会)の高額奨学金はみんな無利子から有利子貸し付けに転換されて、取立てで随分追い込みをかけてますからねぇ。

萩野 秀子 私の子供は4月から神戸薬大に進学していますが初年度が230万円で奨学金があるからこそ進学させられたと思います。奨学金がでるのが6月から1か月づつなので結局は初年度は親が負担しないといけないです。次年度も約200万円です。医療型学部も大体200万円です。だから奨学金では足りないので残りは親が負担しています。母親も薬剤師、看護師、教師、公務員といった職業を持っている人です。だから子供がそういった学部に進学しょうと考えている人、そういった職業の人を結婚相手に選んでいます。これが格差なのです。新聞でベトナム難民の子供が姫路の私立の看護大学に推薦入学で合格し、費用が約200万円必要なので姫路市のカトリック教会が募金、企業、病院、信徒に支援していました。

石井 良則 結局商売ですから。CS教師会で無料奉仕してるのに牧師は自分の手当ばかり問題にして。つまり、商売ですよ。そんな教会からすぐに足を洗わせて頂きましたが。儲ければいいんです。献金だって人件費だろう。神に感謝とかいいながら免罪符でも儲けたんですからナ。

金子 哲 · 国造りの根幹が、、、狂ってしまいましたね。

<補遺>
昨日も若い頃の友人とFBの友達になりました。友だちの輪が広がることはうれしい。

今週のローズンゲン2013 04/14〜04/20

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今週のローズンゲン2013 04/14〜04/20

日々の聖句2013 04月14日(日)
むなしいものを見ようとすることから、わたしのまなざしを移してください。(詩119:37)
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。(ルカ6:41)
私の黙想:
先ず、私が何に注目しているかということによって私の思想も生き方も決まる。何をなくてならないものと考え、何をむなしいものと判断するのかで、私の人格は形成される。今、私が最も関心を寄せていることが、はたして重要なことか、どうでもいいことか。ポール・ティリッヒは、宗教とは「究極的関心事(Ultimate Concern)」であるという。私の内側から出てくる私の主観的な関心事(concern)であるが、それは私を超えた究極的(utimate)事柄であるという。政治・経済・原発・国際関係・平和等、様々な問題が私の関心事となる。結局、それらの全ての問題は、「これからどうなるのだろう」という私たちの「存在の不安」であり、その不安を通してその先にある「究極的なもの」へ、私の関心は向けられる。「わたしのまなざしを移してください」。

日々の聖句2013 04月15日(月)
わたしの裁きを行い、わたしの掟に従って歩むなら、彼は父の罪のゆえに死ぬことはない。(エゼ18:17)
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ロマ14:8)
私の黙想:
この章はユダヤの格言から始まる。「先祖が酢いぶどうを食べれば子孫の歯が浮く」。この格言を二度と口にするなという。現在の不幸を先祖の行為の結果とするという歴史観を否定する。今、ここで、生きている人間の行為・生き方が問われている。憲法を成立過程の不義を問うことによって新しい憲法を作ろうという。そこには今、その憲法によって生きている国民の生き方、つまり憲法そのものの内容が無視されている。憲法の問題は過去ではなく現在である。現在、私たちがこの憲法の「内容」をどう理解し、どう生きているのか。この憲法によって「かろうじて」平和が維持されているという現実が重要である。

日々の聖句2013 04月16日(火)
武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。(ゼカ4:6)
清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。(2テモ2:22)
私の黙想:
バビロン捕囚から帰還した民に対する、民族再生へ向けての神の指針。
日本国憲法第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
?日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
?前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第11条【基本的人権の享有】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。

私たちはすごい憲法を手にしている。この二つの条において繰り返し「永久に」という言葉が使われている。第11条では「現在及び将来の国民」とまで規定されている。預言者ゼカリヤに託された言葉をそのまま現在の日本に適用されている。この憲法は「アメリカ発」というよりも「聖書発」というべきであろう。もし、これを棄てたら日本は永久に神から棄てられるであろう。

望月 克仁 文屋先生 いつも心に迫るメッセージを有難うございます。「これを棄てたら日本は永久に神から棄てられるであろう。」同感です。
ところで、上記の第9条?の「武力による威嚇又は〜」の「嚇」が抜けてしまいました。お時間のございます時に校正しておいて戴ければ幸いです。だれでもご存知の文章ですから、その必要もないかと思いましたが、私の大切にしている文屋先生の「日々の聖句・私の黙想」ですので、あえて記しました。
文屋 善明 ありがとうございます。「かつ」の字が見つかりませんでしたので、ひらがなのままにしておきました。「威嚇」です。あなたの文章からコピーして、単語登録しておきました。
望月 克仁 お手数をお掛けしました。有難うございました。
糸原 由美子 威嚇=いかくですね?威喝ではないですね?
文屋 善明 そうそう、漢字の弱さが露呈してしまいました。「いかく」です。「いかく」で転換したら一発で「威嚇」が出て来ました。ありがとう。威喝は大声で叱ること、威嚇は武力でおどすこと。
Satoshi Tanaka 今まで、踏みにじられてきた憲法の旗を高く掲げ、この崇高な憲法を戴く日本国民であることを誇りとし、気高い民として世界に存在し続けることこそ、『誇り高い日本』の使命だと思います。決して、他の国と同じく常に戦争できる普通の国に転落するのではなく。これこそが、大戦で奪われた数千万人の命の悲願であり、そのときのことをわたしたちはもう忘れてしまったのか、と訴えたいと思います。
小野 周一 「聖書発」に感銘をうけました。憲法9条について思うのですが、戦後60数年の間に、解釈改憲が相当進んでしまったことも事実であります。この事実をキリスト者としてどのように受け止めるべきなのでしょうか?聖書から与えられた憲法、すなわち神様から与えられた憲法も随分変質してしまいました。自衛隊が海外で活動できるまでに変質しています。今また、現政権によって新たな解釈の変更が加えられようとの動きも出始めているようです。そういった現実に目を向ける時、現9条を守るべきと主張することの意味を考えさせられます。戦後長い時間を掛けて、ここまで9条への解釈が変わってきたことについて、私は、人間が根源的に持つ「弱さ」を感じます。もう一つは、現実の世界における日本の果たすべき(と期待されている)役割が60数年の間に変化してきたのも見逃せない、或いは避けられなかった事実なのかもしれないと思うのです。貿易立国として生きる他ない日本としては、世界が平和で貿易がスムーズに行える状況にあることが望ましいに決まっています。しかし、現実には海洋での主権を拡大しようとしている国が存在していることも無視できない事実であります。ひょっとすると輸入する石油を運んでくるタンカーの通り道を今よりもっと遠回りせざるを得なくなる可能性だって無い訳ではありません。そうなると石油の価格が更に上昇せざるを得なくなりかねません。
別の観点から、日本さえ平和なら良いのか?との疑問もぬぐえません。GNPが世界第3位の日本が一国平和主義を主張して、世界各国の理解が得られるのでしょうか?また、9条をかえることが即ち戦争ができる国→戦争をしたがる国になることを意味するのでしょうか?平和的に公正に自由に貿易ができる条件を守ることを、世界の人々のために一定の役割を日本国として果たさなくていいのでしょうか?現代に生きる人間村の住民として、近隣の人たちから支持されるのでしょうか?次から次へと疑問が湧いてきます。
文屋 善明 貿易による収益と恩恵とを以下にして世界の諸国に再分配できるのか、しかもそれをアメリカ(ドル)を媒介としないで直接に分配できる構造を作り出すこと。そこに鍵があるように思う。

日々の聖句2013 04月17日(水)
呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました。(詩138:3)
すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。(ロマ10:12)
私の黙想:
「呼び求める」が鍵。これは単に「祈る」ということではない。呼び求めるということには「自己破綻」あるいは「自力の限界」の意識がある。初めからの「あなた任せ」ではない。自力ではどうにもならなくなったとき、助けてくれる人(神)がいるということは心強い。「主は言われた。『わたしは(中略)、彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」(出3:7)。

日々の聖句2013 04月18日(木)
呼び求めるわたしに近づき、恐れるなと言ってください。(哀3:57)
神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしたちは、こう言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」(ヘブ13:5-6)
私の黙想:
聖書の神は「過干渉ではない」。どこまでも私を信じて手も口も出さない神である。一寸やそっとでは助けてくれない。今日の聖句は何度も何度も呼びかけても姿を現さない神に対する「最終的な呼びかけ」。しかしいよいよというとき、必ず近づき、「恐れるな」と言って下さる。参照:マタイ14:31。

日々の聖句2013 04月19日(金)
耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。(レビ19:14)
神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。(1テサ4:7-8)
私の黙想:
今日の聖句は社会的弱者に対する当然の姿勢を語る。隣人の弱みに対する態度は神に対する態度に通じる。
新自由主義、市場経済、経済における自由競争が語られ、問われる。ここで見落とされてはならない最も重要且つ根本的な掟、社会を成立させている根本原理、それは弱者に対する配慮である。弱者に対する配慮が失われた社会は、共に生きる人間の共同体ではなく、弱肉強食のジャングルである。一般大衆(=国民)を「耳の聞こえない」「目の見えない」状況に押し込んで、国民が汗水流して納めた税金を自由気ままに食い散らす権力構造は、もはや国家とは言えない。

日々の聖句2013 04月20日(土)
神はわたしたちの知りえない、大きな業を成し遂げられる。(ヨブ37:5)
イエスの言葉:目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。(ルカ7:22-23)
私の黙想:
これは古代人の雷体験であろう。自然現象の規模の大きさを知れば知るほど、驚き、神の「知り得ない大きさ」を実感する。これは現代人も同じ。
マグマの活動、トラフの危険性、富士山の爆発、まさに自然現象は人間の想定をはるかに超えている。宇宙衛星といい、宇宙旅行を夢見るが、そこで言う「宇宙」とは地球の引力内の出来事である。人間はブラックボックスと言い、ビッグバーンを想像するが、それらは私たちの実感をはるかに超えた現象であり、「わたしたちの知り得ない」こであり、神がなされた「大きな業」としか言えない。

昨日のツイート 04/23

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お早ようございます。主の平和。読書は中断。外出も無し。現在準備中の資料を復活節第6主日と昇天後主日に分けて連続説教とする。昇天物語とは「イエス不在」という不安を克服する物語である。後半は「(エルサレムに)坐して待つ」つまり姿勢を正す。夜は「ガリレオ」を見る。10時半に就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:19:57

今日の名言:RT @iQTQuotes:
泣くことは弱さの現れではない。誕生以来、それは生きていることの現れであるのだ。
<一言>どなたの言葉か知りません。でも、こういう言葉が大好きです。「泣く」ということの分類や分析、状況説明など一切なしで、この言葉がポツンと述べられる。それだけで、ただそれだけで、慰めであり、励ましとなる。
posted at 06:15:36

「昨日のツイート 04/22 大学授業料問題と奨学金問題」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/c8745e07459f8e64de00ca1651d99d5…
posted at 06:51:51

「今週のローズンゲン2013 04/14〜04/20」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/51d87286473a68e6591808e913c45f8…
posted at 09:35:01

日々の聖句2013 04月23日(火)
御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。(詩119:130)
だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。(ヘブ2:1)
私の黙想:
こういうことを書くと笑われるかも知れないが、聖書の言葉は本当に不思議だと思う。時代も文化も価値観も全然異なる文書が、今の私に語りかけるということ。これをどう説明したらいいのか。普通の文書は読み手の問題意識やその文書を読み解こうとする意志によって、その世界に分け入るという行為(働きかけ)が求められ、それに応じて「理解され、感動する」。ところが、聖書の言葉は言葉の側から働きかけて来て、私の決断を迫る。これは体験した者にしか通じない説明かも知れない。この体験がないと説教は説教にならず、万葉集の解説やギリシャ神話の解読と同じように、古典文学の味わいにすぎなくなってしまう。これを体験してしまうと、それを誰かに話して、分かち合いたくなる。

望月 克仁さん、冨永 勲さん、野間 悦三さん、他25人が「いいね!」と言っています。

お目覚めの花。「子沢山は豊かさの徴」「子供は国の宝、戦争反対」「沢山子ども産んで、育てて、みんな幸せになろうよ」「いろいろ考えると、社会のいろいろな問題の根本原因は結局少子化にあると思うよ」。

金丸 勝彦さん、安永 玲子さん、野間 悦三さん、他26人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 毎朝が、楽しみだぁ〜(^_-)

Su Su kirei desu ne.

文屋 善明さんが三浦 三千春さんのリンクをシェアしました。
21時間前
日本における裁判所で牧師の仕事の本質が問われた貴重な歴史的資料です。
牧会活動事件 第一審
www.cc.kyoto-su.ac.jp

玉城 豊さん、金丸 勝彦さん、野間 悦三さん、他15人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 三浦三千春さん(元クリスチャン新聞記者)の紹介文も合わせてお読み下さい。

玉城 豊 今更ながら種谷俊一牧師と鈴木昭吾牧師の決断と牧会に尊敬の念を抱かざるをえません。

<補遺>特になし。

昨日のツイート 04/24 現在の政治情勢をめぐって

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お早ようございます。主の平和。読書もせず、外出もせず、説教の準備に集中。やっと昇天日を挟んだ2つの説教、「不安の克服としての昇天物語」、「エルサレムに座して待つ」の<講釈>ができた。今日から読書再開。 夜は松下奈緒主演の「鴨、京都へ行く」を見る。面白い。11時に就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:15:03

今日の名言:RT @wisesaw:
立法者にしろ革命家にしろ、平等と自由とを同時に約束する者は、 空想家か、さもなくば山師だ。 (J・W・フォン・ゲーテ)
<一言>ほれ、そこにそういう連中がごろごろいるじゃない。金持ちも貧乏人も等しく、みんな幸せになるって言っている連中が。
posted at 06:05:33

「昨日のツイート 04/23」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/2cdd12cf096b48dbf12e084f520a4e7…
posted at 06:44:38

野間 悦三さん、豊田 滋さん、松井 貴志さん、他18人が「いいね!」と言っています。

三浦 三千春 平等と自由と、幸せとはカテゴリーが違うかも

文屋 善明 「今日の名言」では細かいことは考えない。考え出すと切りがない。いずれにせよ、長い文章から切り出された単文である。この句で重要な点は「平等の実現」と「自由の実現」とは矛盾し対立し、両方を一緒に実現することは出来ないということである。すべての人が自由にすれば、平等は失われるし、平等を求めるとある程度の制限を了解しなければならない。

日々の聖句2013 04月24日(水)
低くされたわたしたちを、御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(詩136:23)
今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、イスラエルの民全体も知っていただきたい。キリストの名によるものです。(使徒4:9-10)
私の黙想:
私たちを低くした者は誰だろう。この詩の流れからいうと、敵(バビロン帝国か?)であろう。私たちの人生には順風の時もあれば、逆風の時もある。時には(敵に)敗北するときもあれば、自分の責任において失敗することもある。もう駄目だと思うときもある。そういう場合に私たちは「低くされる」。いや、本当に低くされなければならない。低くなったときに、高い所からは見えなかったものが見えてくる。何よりも自分自身を知る。自分が誰に支えられ、活かされているのか。それこそが、何にも代え難い恵みである。詩136編は創世記以来のイスラエル史を振り返っての壮大な叙事詩であるが、他の全ての感謝とは感謝の質が異なる。

文屋 善明さんが椛澤洋平さんの写真をシェアしました。

こういう単純な誤魔化しが庶民には一番分かりやすい。
「私たちはこの三ヶ月で四万人の雇用を生み出すことができました」と党首討論で安倍首相。

総務省「どのデータを用いたのか、わかりかねる」

しかし完全失業者数は5万人も増加し、284万人になっている。これがアベノリスク。

塩澤 紀子さん、野間 悦三さん、森田 美芽さん、他16人が「いいね!」と言っています。

江口 重勝 · 政治家はこれぐらいペテンでないとやっていけない。

文屋 善明 こういう種類の見え透いた嘘をどんどんネット上で流せばいい。そのうち国民も政治家を信じなくなる。

お目覚めの花。「(囁くように)お早うございます」「シー、今朝は黙って味わって」 (写真5枚)

Naomi Jambunathanさん、塩澤 紀子さん、野間 悦三さん、他43人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 「(囁くように)すご〜い。」

細野 清明 もう、いいかなぁ〜??? 大きな声で、Bagus!!

文屋 善明 もういいよ。

笑い話を一題。
昨日、孫息子がツイッターで「関学社学が炎上中だそうで」と呟いているのを見て、家内が大急ぎで「大丈夫?」と電話したところ、炎上は炎上でもリアルではなく、バーチャル世界でのことと言って、笑われました。家内と私も、胸をなで下ろして「炎上」って言えば火事だと思うよねと言って、大笑いをしました。皆さまも、お気を付けて。

塩澤 紀子さん、野間 悦三さん、柳生 愛さん、他38人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 祖父母は、えんじょ中!胸をなで下ろすところが、お金を下してこな!

河原 忍 「炎上」はネットスラングで、掲示板やブログでもめるという意味です(笑)。

田中 恵子 愉しい!

文屋 善明さんが野間光顕さんのリンクをシェアしました。
これは私もシェアしなくっちゃ。

そもそも日米地位協定の本質って何?
t.co
モーニングバード・そもそも総研 2013.4.11. 首都圏の空をアメリカが支配。日米地位協定とは? 日本の民間機が自由に飛んではいけない領空がある。 それはいったい何なのか?
平田 武治さん、松井 貴志さん、Satoshi Tanakaさん、他11人が「いいね!」と言っています。

Satoshi Tanaka 憲法を変える前に行わなければならないことがあるのではないですかっ!シェアします。

松井 貴志 玉川徹さんの「そもそも総研」は非常に面白いですよね!?木曜日のモーニングパードはオススメです(^-^)

文屋 善明さんが古澤 啓太さんのリンクをシェアしました。
<実は海外でも樹木葬が普及し始めている。しかし、事情は日本とは若干違うようだ。韓国や台湾では、国土面積が狭いことから土葬用の土地が不足する懸念や、自然保護の観点から樹木葬が推奨されている。一方、欧米では環境問題の一環として埋葬が考えられ、樹木葬が薦められているようだ。>本文より。

こうして樹木葬墓地はジャングルになりました。

島まるごと散骨所、樹木葬は申込殺到…多様化する埋葬ビジネス最前線とその背景(Business Journal) - Y!ニュース
zasshi.news.yahoo.co.jp
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松永 健治さん、野間 悦三さん、春木 孝之さん、他6人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 早い者勝ちでいいのかな。

文屋 善明さんが関西学院大学 / Kwansei Gakuin Universityさんのリンクをシェアしました。
これが関学炎上だ!

K.G. 1 2 GO !~関西学院創立125周年記念動画
www.youtube.com
とある関学生が西宮上ケ原キャンパスの正門をくぐると、そこにはたくさんの仲間たちが待っていました。よさこいで歓迎してもらったり、体育会クラブと走ったり、おもちゃで一緒に遊んだり、讃美歌を聴いたりなど、個性豊かな仲間たちとキャンパス内を巡り歩きます。それは、まるで小さな冒険のよう...。果たして、どんなキャンパスライ...

木下 海龍さん、文屋 知明さん、野間 悦三さん、他7人が「いいね!」と言っています。


岩崎 清
この当たり前の対応が「極めて異例」なのが現実か。
http://www.asahi.com/national/update/0424/TKY201304240137.html

東北電、東電に損賠請求へ 「原発事故で施設に損害」
www.asahi.com
 【田中美保】東北電力は24日、東京電力福島第一原発の事故に伴う損害賠償を、東電に求める方針を明らかにした。自社施設が使えなくなったことに伴う損害の賠償を求める。原発事故に伴う損害賠償を、やはり原発を
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あなたと清水 晴好さん、Kazunori Sunagawaさん、他5人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 ヤレヤレ!節度無き怪獣同士が噛み合い、殺し合い、両方とも消えてしまうのが、問題解決の最短距離かも知れないね。

岩崎 清 それだけ切羽詰まっているのでしょうが、「ムラ」とは違う原理を必然的に招き寄せてしまっています。まさに「同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう」というところでしょう。

文屋 善明 マルコ3章26節ですね。

岩崎 清 まあ電力会社を「サタン」に直接なぞらえるのは問題かもしれませんが、「サタン」でさえ、というふうに解釈したいと思います。

岩城利守 医療、教育、ライフライン、は国営の公共事業にしないと、資本の論理で内輪揉めが始まった場合、国民の意思では解決できない事態にすすむ。橋下も麻生も水道事業の民営化を訴えているが、とんでもない話だ。

文屋 善明 基本的にはそうなのですが、現在の日本では最も劣化している組織が国営事業で、能率は悪い、サービス精神には欠けている、上部は自己保身ばかり考えている等々で、国営である故の弊害があありに多すぎます。電力既往にしても体質が国営になっている分だけ信用できなくなっています。そのマイナスは私企業の利益追求をはるかに超えています。この問題をどうするのか。

岩崎 清 文屋さん、上でおっしゃった「能率は悪い、サービス精神には欠けている、上部は自己保身ばかり考えている等々」は国営ゆえかもしれませんが、民営化しても解決するどころか悪化しそうです。基本的に中にいる人間が能率を上げたくない、サービスしたくない、保身はしたいという、要するに腐敗した体質のままであれば、コストダウンが優先するだけで全体的な劣化は必至です。そして組織も人間も、悪くなるのはあっという間で、改善するのは途方もなく長い時間がかかる、というのが、ここしばらくの状況ではないかと僕は思います。

文屋 善明 困ったものですね。日本という国はいつの間にそんなに情けない国になってしまったのでしょうね。

岩城利守 ?殆どの私企業はすべて金融機関からの借入金があり、銀行からの要求に従わなければならないケースが生じる。?株式上場会社は、経営権がしばしば他者に遷ろうので、国民生活のクオリティーを重視する重要な方針が不安定である。 ?資本の論理、利潤優先の論理で国民のライフラインを管理する事はあってはならない。 以上の3点に於いて、あくまでも教育、医療、ライフラインは公共事業でなくてはならない、と考えます。

文屋 善明 そのご意見には反対の余地はありません。その通りだと思います。

岩城利守 『教育、医療、ライフラインには、税金を原資に運営システムを構築する。利潤の追求は不要である。』等と主張すると、今の総理大臣に「お前はアカか?!」と言われそうです。しかし、あの英国は(税金高いですが)義務教育も医療費も無料です。日本も増税分はライフラインに使うべき。

岩崎 清 岩城さん、日本は欧米諸国にGDPでは近づいたものの、その蓄積である「国富」がもうケタ違いに小さいことが根底にあるんじゃないかと思います。バブル時代に成人した僕は無知なもので、日本がこれほど貧しい国だとは思ってもみなかったのでかなり幻滅していますが、かといってさらなる成長を目指す路線にも全面的に賛成もできないわけです。ヨーロッパについてはとくに、植民地支配でさんざん搾取してきたから蓄積があるんだろうとイヤミのひとつも言いたくなります。

さいとう もとふみ 岩崎さん 植民地経営がもたらした欧米の富には、なかなか敵わないというのは欧米バロックの装飾ごでごて教会みると実感しますよね。

岩崎 清 (笑)莫大な富を得ると、人間何か装飾を加えたくなるんでしょうかねえ。そうかと思うと革命でそれをぶち壊したりして、ほんと極端ですw

さいとう もとふみ 元の話題とずれてますが、バブルが50年も続いたら日本バロック様式が生まれたのかと思うと残念w

岩崎 清 ちょっと短すぎました(笑)まあそうすると救いようのない悪趣味に陥った可能性もあるので、あの程度でよかったのかもw

岩城利守 日本政府は明治時代から欧州財閥からの借金を重ねていますから、その借金を財源に戦った日清・日露戦争の結果得た富は、やがてその債権者に吸い上げられてしまいます。一旦太らせておいて次に敗戦に追い込み、全部頂く、という金融の基本ですね。これを「EAT RICH」と言います。最後に勝つ、一番強い勢力は、紙幣を印刷してそれを国家に貸し付けている財閥達です。

岩崎 清
ネットであれ紙であれ、何でも「メディア」を通じて得られた知見や認識のみに頼りすぎるようになると、ひとは特定の傾向が不必要に強調された、いびつな社会像を構築したくなる誘惑に抗しきれないようだ。あたかも虫眼鏡だけをつかって何か大きな物体(象でも自動車でも)をスケッチするようなものである。われわれは認知がそのような錯覚を起こしがちであることを理解して、おそらく意識的に補正する必要がある。しかし単なる「客観的事実」では、認知の校正基準として十分な精度を保証されているわけではないのが、現代の難しいところだろう。

あなたと井口 真さん、江見 卓司さん、Kazunori Sunagawaさん、他9人が「いいね!」と言っています。

岩崎 清 お約束ですが自戒をこめて、ですね。はい。

井口 真 気をつけます!

岩崎 清 この種の弱点には自分自身がさんざん悩まされています。だからといって、「ひとは」なんて一般化していいのかはわかりませんけどね。

岩崎 清 「社会」が作業仮説に過ぎないにしても、人はどのようにしてそれを理解していくのか、なかなか謎に満ちたプロセスです。

文屋 善明 うーむ。情報の流れ、というか現実の事態の推移が早すぎて思考が追いつかない。

井口 真 文屋さん、同感です。考えている間に次が着ます。そうかと思えば、最新情報と同じような顔をして2年前の記事が流れてきます。当時は「知られざる」とか「未発表」だったのね?って言うやうです。いつも気をつけているのは疲れますよね。

Kazunori Sunagawa みんな「現実」へ逃避する現実逃避2.0の時代には、ベタで薄っぺらい経験至上主義、いまここわたしみた、の絶対化のドグマでがんじがらめになっている。人類学の若手(現代思想にどっぷりつかりすぎ解毒作用として人類学を始めた世代より後の世代)のフィールド研究がおそろしくつまらないのは、それが理由と思われる。

井口 真 机上の空論も情けないし、経験至上主義では世間が狭すぎますね。

Kazunori Sunagawa 空上の奇論が、いまsexyにみえる。科学から空想へ。フーリエが流行る。

Kazunori Sunagawa 「現実」など乗り越えるためにしか存在しないのであるから、半歩先につんのめらない。いわゆる「現実」をスっ転びながら追いかけている社会科学など学生には魅力的に見えぬだろう。解説なら池上彰に負けるし。

文屋 善明 「空上の奇論」という概念も奇論ですね。

Kazunori Sunagawa 「現実」にちかづきすぎると現実はみえなくなるから。毎日空を見上げる僕牧童から地動説への転換は生まれない。毎日天動説を確認するだけだろう。狭い経験。

星野 純 個人の世界像、社会的意識の世界像、政治の世界像は絶えず異論によって脅かされ、揺らいでいるべきだと思う。
認識に対する安心が暴走機関車のような過ちを呼ぶ。

文屋 善明 対象を立体的に見るためには両眼が必要なように、現実を認識するためには異なる立場との対話が必要である。そのためにはお互いが異なる世界像を見ているということを前提にして、自分の見ている世界を修正していく勇気が必要かと思う。

星野 純 対話というより、無視できない状況を作っていくことが必要だと思います。マスメディアに対抗できるメディアを作りメディアの多様性を作っていくこと。 人々を迷わせ不安にさせること。

文屋 善明 少なくとも現実の政治的状況に対してはその通りだと思います。

岩崎 清 わっ、目を離していたら議論が展開してる。。

昨日のツイート 04/25

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お早ようございます。主の平和。『無神論』続読。欧米各国における政教分離(ライシテ)の実態について。無宗教と無神論。キリスト教における「信」に基づく無神論。風が強いため外出せず。昇天日前の主日説教完成。 夜は上川隆也主演の「遺留捜査」と報ステーションを見る。10時半に就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。

posted at 05:08:47

今日の名言:RT @iQTQuotes:
時間が過ぎてから、「もし…」を考えるよりは、シュートして外した方がいい。(マイケル ジョーダン )
<一言>ぐずぐずしている間に時間はどんどん過ぎていき、それと共に状況は変化してしまう。損してもいいじゃないか。決断するのは今でしょう。
posted at 06:20:30

「昨日のツイート 04/24 現在の政治情勢をめぐって」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/ff335e3fc4b44e3744cfdd164985395…


日々の聖句2013 04月25日(木)
主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。(詩27:1)
イエスの言葉:なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。(マタイ8:26)
私の黙想:
何かしら日本語に落ち着きがない。それで他の翻訳と一通り読み比べてみた。口語訳:主は私の命の砦だ。私は誰を怖じ恐れよう。文語訳:主はわが命の力なり。わが懼るべきものはたれぞや。祈祷書:主は私の命の砦、私は誰をはばかろう。フランシスコ:主はわたしの命の砦、わたしは誰をはばかろう。新改訳:主はわたしの命の砦、誰をわたしはこわがろう。岩波訳:ヤハウェがわが命の砦、誰にわたしはおののこう。
要するに、1節前半の「イラー」と後半の「エフハット」(両方とも「わたしは恐れよう)という意味)を訳し分けようと苦労している。口語訳だけが同じ訳語。つまり、原語におけるニュアンスの違いと日本語のボキャブラリーと言語感覚の差が翻訳に現れている。要するに「私には怖いものはない」ということである。その通り、主が私の命の砦なら、私には怖いものはない。
イエスの次の言葉を思い起こす。「人々を恐れてはならない。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」マタイ10:26-31)。

大岩 正己さん、野間 悦三さん、丸山 順子さん、他20人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 やはり、私は、神のことを考えているようだ、なぜって!「私の髪の毛は数えやすいんだよ〜!」


文屋 善明 いや、それは間違いだ。確かにあんたの髪は数えやすい。だから、神があんたのことを考えやすい。隅から隅まで見通しだ。

三田 清次 カミに縁遠い文屋先生に共感申し上げます。〜縁遠い同志・逆さホタルより

文屋 善明 私はこれから散髪に行って髪を切ってきます。

お目覚めの花。「やっぱり、この時季は私たちよね」「そうね、この時季を過ぎたらただの日陰だけだもんね」「ライフってそんなもんよ」「なんて大袈裟な」。 (写真4枚)

朴 栄子さん、渡邊 宣博さん、木下 海龍さん、他35人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 この時期、やっぱり「ふじダナー!」

文屋 善明 あんたのギャグは年中だ。

文屋 知明 私の「ギャグ」は「ぶじダナ〜!」

村田 多鶴子 御兄弟の掛け合いが〜♪〜♪〜♪(^^♪

ただいま、散髪から帰宅。
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清水 晴好さん、豊田 滋さん、冨永 勲さん、他9人が「いいね!」と言っています。

<補遺>特になし。

昨日のツイート 04/26

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お早ようございます。主の平和。『無神論』続読。<ひたすら「信」としての宗教を掲げたキリスト教は、常に「信じるか信じないか」という問いを内包し、だからこそ他の宗教になかった急進的な無神論を生むことになったのだ。> 夜は石塚英彦主演の「刑事110キロ」と「ダブルス」を見る。10時半に就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:06:16

萩野 秀子 おはようございます。昼から雨の予定です。今から2人の子供の弁当にトンカツ、筑前だきを入れます。昼から下の子供の授業参観、合宿説明会に行きます。良き日となりますように。お祈り致します。体に気を付けて頑張って下さい。

Yasutaka Nakamura 文屋さん おはようございます(*^_^*)

Yasutaka Nakamura エンターしてしまった(^^ゞ 最後のチュン、チュン。は、雀の鳴き声ですか?

文屋 善明 最後の「チュン、チュン」はこの朝のご挨拶はもともとツイッターで始まりました。その頃、ツイートを「つぶやき」と訳していましたが、私としてはそれは間違いで、ツイートとは「鳥のさえずり」だということで、最後にチュン、チュンという言葉を付けました。ツイッターの最も大切な働きは「私はここにいますよ、元気に生きていますよ」ということを囀るものだと思っています。ですから、現在ではほとんどフェイスブックに移っていますが、朝の囀りだけはツイッターの方でも続けています。

糸原 由美子 そうだったんですね!私もいつかお聞きしたいと思っていました!!!

水草 修治 そうですか。ご自分を、天の父が生かしてくださるスズメと思っていらっしゃるのかなあと想像していました。

文屋 善明 そういう説明の方が「信仰的で」いいかな。でも、私には似合わないね。

今日の名言:RT @wisesaw:
幸せとは欲しいものを得たり、なりたいものになったり、したいことをしたりするところから来るものではなく、 今得ているもの、今していることを、あなたが好きになるところから生まれる。(トリーチェ)
<一言>トリーチェという人物が謎に包まれている。ダンテの『神曲』のヒロインのベアトリーチェのことだといわれているが、現在では「ダンテの神曲」そのものがほとんど読まれていないのではなかろうか。私も読んでいない。
posted at 05:57:50

「昨日のツイート 04/25」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/efe354520d2bef88dc788ec8b1ce54d…
posted at 06:49:19

日々の聖句2013 04月26日(金)
主の道はことごとく正しく、御業は慈しみを示しています。(詩145:17)
あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(フィリ1:6)
私の黙想:
ここでの「主の道」とは何か。普通、「主の道」といえば、私たちが歩むべき「道」だと思ってしまう。何か欠けている。この「主の道」とは主が歩む道である。口語訳では「主はそのすべての道に正しく」、フランシスコ会訳では「 主の歩まれる道」、祈祷書訳では「主の行われることはすべて正しく」と訳されている。そう訳すことによって、前半の「正しく」と後半の「慈しみ」とがバランスを取ることができる。ヤハウェは正義の神であり、愛の神である。ヤハウェにおいては「愛する」という目的を達せいする方法も「正義」である。あるいは神の愛は正義によって実現し、神の正義は愛を内包する。愛即義、義即愛。詩人はそのことを高らかにほめたたえている。

野間 悦三さん、門叶 国泰さん、冨永 勲さん、他25人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 原文は「主は正しい・・・」ですね。

お目覚めの花。「・・・・・・」「何か話てよ」「花はそこにあるだけで、人々に多くのことを語り続けているのよ」「でも、あなたは直ぐに枯れて地に落ちてしまうじゃない」「それでいいのよ。みんなの目の中で咲き続けているから」。

野間 悦三さん、加藤 治さん、豊田 滋さん、他38人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 何時もながら、目がシャキ…(^_-)

木下 豊 美しいです。

文屋 善明 recommends an article.

「核の不使用」共同声明、日本署名せず NPT準備委
www.asahi.com
【ジュネーブ=斎藤靖史】2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、スイス・ジュネーブで開かれている第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴えて24日に発表された共同声明に、日本政府は署名し

あなたと金丸 勝彦さん、安部 勉さん、文屋 知明さん、他6人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 <日本は「核兵器の非合法化」を求める内容が米国の核抑止力に依存する政策と合わないとして、賛同しなかった>と言う。どうやら現政権は「核の傘の不要な世界」よりも「アメリカの傘の下」のほうが居心地がいいようです。

文屋 善明さんが中島 健さんの写真をシェアしました。

「いかなる状況下でも」という文句に反対だって。それじゃ、どういう状況下なら使ってもいいんでしょうね。太平洋戦争を終わらせるためならOKか。北朝鮮は駄目でもアメリカが使う場合はOKなのか。
中国新聞社説 4月26日(チェルノブイリ27周年)

「日本は核武装を狙っている」という世界の常識に同意

金丸 勝彦さん、村田 多鶴子さん、立部 瑞真さん、他14人が「いいね!」と言っています。

Satoshi Tanaka シェアします。
20時間前 · いいね!

水草 修治 正力松太郎、岸信介、佐藤栄作、中曽根康弘、安倍晋三、石破茂とずっと、核兵器をもつべきだと自民党の政治家たちは言って来ましたから、変節にはあたらないのでしょうが。
安倍内閣は、タテマエぬきでホンネを吐き出したというわけですかね。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120702/p1

松沢 直樹 日本が核武装を狙っているのではなく、「着々と進めている」のが現状です。今現在、核兵器はないはずです。なぜなら、核攻撃の常識になっている原子力潜水艦を持っていないからです。
しかしながら、文部科学省が管轄している実験用研究炉で、超兵器級プルトニウム(長崎型原爆の材料)が20キロ作られたことがあきらかになっています。
原子力潜水艦を持ったら、確実に核ミサイルを搭載させるでしょう。原爆自体製造はさほど難しいものではありませんが、テロリストに強奪されたり、不慮の事故で自爆したりする危険のための対策に高度な技術とコストを要します。
日本が核兵器を持つと、核不拡散条約から除名されるでしょうから、国際社会から追い込まれてメリットは何一つありません。
被爆国であることを前面に打ち出して、粘り強い外交政策をとるほうが、絶対に有利ですし、これからの世界の平和を実現するためにも寄与できるはずです。

文屋 善明
竹下節子『無神論〜〜2千年の混沌と相克を超えて〜〜』(中央公論新社)やっと読了。すごく刺激的な研究だ。ほとんど劇薬に近いが実はキリスト教に病んでいる人への特効薬だ。「キリスト教に病んでいる人」と思わず言ってしまったが、それを自覚している人も自覚していない人も、何らかの形でキリスト教に属している人も、キリスト教にまったく関わったことのない人も、大なり小なりこの病原菌を内に持っている。それが近代西欧思想である。この書はその病状を丁寧に分析し説明してくれる。読んだ結果、病状が改善される人もいるだろうし、もっと激しくなる人もいるであろう。この書はまさに「ベルゼブル論争」のようなものである。
著者は表紙裏でジャン・ロスタンの次の言葉を掲載している。「神を信じる人々は、信じない我々が神の不在について考えるのと同じぐらいに熱心に神のことを考えているのだろうか?」(『ある生物学者の随想』1954年)。
多分、私はこの本をもう一度読み直さねばならないであろう。

<補遺>
買ったはずの上坂昇『神の国、アメリカの論理』(明石書房)が見あたらない。カバーは残っているのに。どこに潜り込んだんだ。出てこい。

昨日のツイート 04/27 延々と続く大阪食談義

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お早ようございます。主の平和。『無神論』読了。無神論成立の3条件:神の概念の共有、その原理主義化と保守的な縛り、原則的に表現の自由。キリスト教が無神論を生む。無神論と無宗教との相違。外出なし。書棚の整理。「こんなところに日本人」(ウルガイ編)を見る。9時半に就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:17:28

今日の名言:RT @
文章を書くことは、小切手を書くのに似ている。思想がないのに文章を書こうとするのは、銀行に残高がないのに小切手を書こうとするようなものだ 。(ユダヤの格言)
<一言>朝っぱらから、イヤな言葉に出会ってしまった。思想がないのに文章が書けることに驚く。そうだ「ない思想」を書くということは、この文章は不渡り小切手ですよと裏書きするようなものだ。最近は文章を書くのが便利になって、ネット上では不渡り小切手が溢れている。
posted at 05:51:36

畑中 康慶さん、木下 海龍さん、野間 悦三さん、他17人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 イタタ。

金井 由嗣 書いてから慌てて貯金を始めたりして。f^_^;)

「昨日のツイート 04/26」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/7257444156fa1426fedece4d0ff615d…

日々の聖句2013 04月27日(土)
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。(イザ55:3)
あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。(ヘブ6:12)
私の黙想:
今日の聖句に次の言葉が続く。「ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに」。 こういう言葉を読むとイヤな気分になる。「やはり、あなたはユダヤ人の神ですか」。どういう理屈で、ユダヤ人の神が「私たちの神」になるのか。逆に、「日本人の神、天照大神」が「みんなの神、世界の神」にならないのか。ヤハウェと天照大神とは何を根拠に、どう違うと言えるのか。同じ神だと言い切ってしまったら何故いけないのか。私の頭の中に居られる神、「あなたは誰ですか」。いずれにせよ、「頭の中」だけなら、それは「私の神観念」であるから、無害である。しかし私が信じる神、「あなたはいったい誰ですか」。どうして、あなたはユダヤ人の神であることに拘っておられるのですか。何時、あなたはキッパリとユダヤ人との特別な関係を断ち切り、普遍的な神となられたのですか」。

野間 悦三さん、金丸 勝彦さん、冨永 勲さん、他16人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 遠藤周作の「神観念」に同じようなテーマが・・・!

文屋 善明 出典を教えてください。

文屋 知明 小説「深い河」かな〜?違いますか、かなり以前に読んだし・・・!

お目覚めの花。「今朝は出勤する人が少ないようね」「そりゃそうよ、ゴールデンウイークの土曜日だもの」「お天気が良くてよかったね」「皆さん、今日は家族連れでどこかにお出かけかな」。(マンションの駐車場の花壇での会話です)

佐藤 静代さん、木下 海龍さん、野間 悦三さん、他28人が「いいね!」と言っています。

木下 豊 いい朝ですね。

細野 清明 Selamat pagi 。Bagus!! 目がシャキ 今日も元気が出ます!!! 善き日で有りますように。

Su Su kirei.

文屋 善明
15時間前
赤間駅とザビエル聖堂 (写真30枚)
お昼前に友人を赤間駅まで迎えに行き、ザイビエル聖堂と御受難会修道院を案内した。

渡邊 宣博さん、濱 和弘さん、Naomi Jambunathanさん、他36人が「いいね!」と言っています。

浅井 荘子 空〜!

文屋 善明さんがリンクをシェアしました。
14時間前、福岡県宗像市周辺
<講釈>昇天物語 ルカ24:49-53をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/56211a295042dddacf55318e798669d5

<講釈>昇天物語 ルカ24:49-53 - 落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>
blog.goo.ne.jp
2013R06(L) 2013年 復活節第6主日 2013.5.5 <講釈>昇天物語 ルカ24:49-53

上野 博志さん、村田 多鶴子さん、野間 悦三さん、他8人が「いいね!」と言っています。

清水 晴好 金婚式ですね。おめでとうございます。九十九島、楽しんでこられますように。

文屋 善明 この<講釈>は危険文書です。読まない方がためになります。説教では、もう少し穏やかになります。

村田 多鶴子 金婚式の日に、引き揚げて来られ第一歩を踏み出された佐世保へ・・・って、なんて素敵でしょう!
どうぞ、お気を付けて行ってらしてくださいませ。 旅の上に、神様の祝福が豊かにあります様に!m(__)m
先生のブログを読んでいて、以前中国からのお客様が、瀬戸内海を観て、「この美しい湖は何と言う湖ですか?」と言われたのを思い出しました(^^♪

文屋 善明さんが水草 修治さんの近況をシェアしました。
これは非常に重要な意見です。よく読んで下さい。
「壊憲」

産経新聞が改憲問題についてアンケート結果を出した。

96条を改正し、発議条件を衆参両院で「3分の2以上」から「過半数」に緩めることには44・7%が「反対」で、「賛成」(42・1%)をやや上回った。(4月23日)

 産経新聞という右寄り新聞でさえ、こういうアンケート結果を出している。「96条をいじることは、立憲主義そのものを壊すことだ」ということに、賢明な国民は気づき始めたのである。

 立憲主義とは、権力者が好き勝手なことをしないように憲法をもって制限をかけるという仕組みのことである。ところで、権力者というのは議席の過半数を押さえた党派である。だから、世界中の憲法では、過半数では改憲の発議はできないように、特別多数(3分の2や5分の3)を要求するように定められているわけである。

 ところが、呆れたことに、その過半数をもつ権力自身が、改憲に関する発議に3分の2を要するのは変だ、過半数にすべきだと言っている。しかも、「手続きにすぎない」だの「諸外国の憲法はもっと変えやすいのだ」とウソをばらまき国民をだまして、3分の2を過半数にしてしまおうとしている。これは、単に憲法を改めるのではなく、立憲主義そのものの破壊である。

 改憲論者の憲法学者の小林節氏(慶応大学教授・憲法学)までも、自民党の暴挙には怒り心頭に発して、今、自民党が画策していることは、改憲ではなくて「壊憲」だと述べている。

文屋 善明
当面の説教の準備もほぼ完了したし、ここしばらく固い本ばかり読んでいたので、少々軽い本を読みたいと思っていましたら、今朝、注文した芸人・水道橋博士の『藝人春秋』(文芸春愁)がただ今配達されましたので、GWの読書はこれにします。評判はすごく良いです。せっかく入学したM大学を4日で退学なんてすごい経歴だ。人生によほど自信がなければ出来たものではない。

町田 勝彦さん、岸本 望さん、濱 和弘さん、他18人が「いいね!」と言っています。

小池 俊樹 この表紙は福井利佐さんの切り絵ですね

文屋 善明 知りませんでしたが、最後の頁に書いてありました。福井利佐さんってどういう人ですか。

小池 俊樹 ググった方が早いと思いますが、日本の切り絵アーティストで、他にも中島美嘉のCDジャケットデザインしたり、CMに使われたりしてる人ですね。

文屋 善明さんが茂木 健一郎さんのリンクをシェアしました。
10時間前
水道橋博士さんの本を読みたいと思ったのは今朝の茂木健一郎さんの紹介文によります。私のタイムラインに保存するためにシェアします。

必殺技は、捨てなければならぬ。 水道橋博士著 『藝人春秋』 書評

すばらしい本である。とても元手のかかった本である。絶対に買って読んだ方がいい。代金だけの見返り、いやその何十倍、何百倍の報いがあるはずだ。

なぜか。元手がかかっているからである。博士が、ビートたけしに憧れて入門して以来、さまざまな仕事の現場で、藝人さんたちと話し、考え、感じ、見聞きしてきたことがぎゅっと濃縮されている。こんなに濃縮されていいのか、と思うくらいに詰まっていて、読んでいて、申し訳ない、と思うくらいである。

実は、ぼくは博士を一度だけコワイ、と思ったことがあった。成城学園前から歩いていくレモンスタジオでの番組の収録で、スティーヴ・ジョブズを初めとするいろいろな人を引用して、「変人が日本を救う!」みたいなプレゼンをしたら、それが案に反してブーイングで(ディレクターも意外な反応だったと言っていた)、特に博士がキツかった。

ぼくがプレゼンター席に立っていたら、博士が横を、「茂木さんにしては甘かったな」とかつぶやきながら歩いていったので、ぼくはひええと思ってしまった。

その時、やさしかったのは、Shellyだけだった(あの時のこと、今でもありがとうと思っているよ、Shelly, thanks!)。それで、ぼくは心のバランスを崩して、思わず成城学園から新宿まで歩いてしまった。小田急沿線を、とぼとぼ、真っ暗な道を歩いた。遠かったなあ。2時間くらいかかったかしら。

それ以来、水道橋博士のツイッターを読んで、鋭い人だなあ、いいなあ、と思いながら、ずっとコワイと思っていた。ところが、先日、岡村靖幸さんのコンサートに行ったら、近くに博士がいた。ぎゃっと思ったが、やさしかったので、ほっとした。

それで、終わったあと、岡村さんの楽屋を訪ねて博士たちといろいろ話している時に、突然、ああ、博士は愛が大きくて強い人なんだなあ、と思った。鋭利な知性で、相手をしっかりとらえて、いろいろ言うけれど基本的に愛が強い。

『藝人春秋』は、その意味で、愛が強い本である。それぞれ、稀代の表現者たちの生き様を、エルグレコの絵のような強い陰影でとらえる。決して、相田みつを的な人間だものではない。時に内蔵をえぐるんじゃないか、というような鋭い舌鋒ながら、最後は、その人間を温かくくっきりと浮かび上がらせるのだ。

凄い才能だと思う。そして、あまりにも多くの元手がかかっている。『藝人春秋』を読む人は、博士のたどってきた特権的な視点を共有することができる。惜しみもなく、博士は書く。男前、太っ腹、利他的だと思う。博士の証言から、人生を学ぶことができるのだ。人間、苦しくても、泥にまみれても、いかに生きていくべきかと。

岡村さんのコンサートで博士に再会して、ずっと気になっていた『藝人春秋』を読もうと思った。屋久島で読み始めて、東京に帰ってきて読み継いで、ハワイに持っていって、ワイキキのクィーン・カピオラニ・ホテルで読み終えた。読みながら、あとで引用しようと思って頁をたくさん折っておいた。

ところが、ハワイ大学での講演に呼んで下さったホノルル・ファンデーションの方が、ぜひ読みたいというのであげてしまった。それでも何頁か記録しておこうと、空港に向かう車の中でiPhoneで撮ったが、なぜかフォーカスが合わなかったらしく文字が読めない。

だから、『藝人春秋』の数々のすばらしい文章のうち、本当に魂を揺り動かされた一言だけを記憶から引用しておく。確か、甲本ヒロトさんの言葉だったと思う。

「成長するためには、必殺技を捨てなければならない」。

この引用を読んだとき、ぼくは本当に心が震えた。「藝人」とは、この言葉の真実に向き合って生きる人だろう。もちろん、水道橋博士もその一人である。ぼくは、「変人」という必殺技をどこかで捨てなければならなかったのだ。
藝人春秋
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町田 勝彦さん、平田 武治さん、岸本 望さん、他8人が「いいね!」と言っています。

平田 武治 善明先生、iPhone iPad対応の電子書籍板がiTunes App Store にありますよ。立ち読み版は無料で1号から6号まで各85円です。(^L^)

文屋 善明 そうですか、ありがとう。


金井 由嗣
大学進学で関西に来て、驚いたこと。
1. 喫茶店のメニューに「焼きそば」がある。さらに「焼きそば定食」なんてものまである。
2. お好み焼きをコテで食べる。
3. カレーライスに生卵が入っていて、しかもソースをかけて食べる。
・・・今ではすっかり慣れて、全部フツーになりました。関西に来て丁度30年のオッチャンの感慨。

あなたと清水 晴好さん、大垣 收ピーターさん、萩野 秀子 さん、他26人が「いいね!」と言っています。

Yoko Yonaha だから、コテコテ、ってゆーのでしょうか、、、⁇ ww

文屋 善明 関西育ちの私も言われて、吹き出しました。1は知りませんが、2と3はフツーです。

大垣 收ピーター それを長い間、世界標準だと思って暮らしていました。

高橋 めりー 就職で大阪に来て、みんなでお好み焼き食べに行ったら、鉄板の上で自分で焼くスタイルで、どの人も当たり前のようにぱっぱっとひっくり返してたことにも驚きました。誰の家にもたこ焼き器があったことも驚きでしたね。

文屋 善明 関西以外では、お好み焼きを「箸」で食べまんのか。そんなんおかしいやありませんか。まさか、あんさん、お好み焼きを皿によそうて食べるんやおまへんか。

水草 修治 ほんま、お好み焼きをハシで食べてどうすんねん。皿に載せたら冷えてまうやんか。

高橋 めりー 猫舌ですねんもん…変な関西弁(笑)

水草 修治 たこ焼きもそとがかりっとしてて、中は熱々のをヒヒョヒヒョいいながら食べるねん。やけどするけどね。

文屋 善明 へんなことおまへん。それでええねん。一寸拗ねた感じ出てまっせ。

高橋 めりー 上手にやけどしなくちゃね。

高橋 めりー 文屋さん。おおきに。

文屋 善明 大丈夫、外からの冷たい空気取り込んで、口の中で転がして食べまんねん。

高橋 めりー わかりやすいなあ(^o^) たこ焼きの食べ方ガイドブックとか、出したら売れるかも(^o^)

金井 由嗣 入試の最終日、「もうこっちに来ることもないだろう」と思って(まさか合格するとは思ってなかった)記念に一人でお好み焼きを食べに行って、焼き上がっても箸が出てこないので困っていたら、おばちゃんが慌てて割り箸と小皿を出してくれました。京都の人は「お上りさん」に優しい。f^_^;)

金井 由嗣 そうそう、一家に一台「たこ焼き器」があるのにも驚いた。北海道の友人たちは、いまだに信じてくれまへん。

文屋 善明 あかん、あかん。おんまもんのお好み焼きは大阪に来て大阪人の食べ方見て、身に付けな。大阪でお好み焼きを変に触ったら、お節介な大阪のおばはんが飛んできて、ぶつぶつ言いながら親切におせえてくれまっせ。

大垣 收ピーター お好み焼き用の鉄板もあるよ。

生亀 俊一 関西は「チャーハン」の事を「焼き飯」って言いますね。

吉武 懐希 僕は先生が関西じゃなかったことにビックリです(笑)

文屋 善明 あれは「焼きめし」やんか。チャーハンは中華料理や。大阪の焼きめしは大阪の郷土料理やで。

生亀 俊一 あれ 本当ですか? 30年前 食堂にはいって「ヤキメシ」注文したら、脂っこい油飯が出てきました。

文屋 善明 焼きそばかて、お好み焼き用の鉄板の上で焼くソバのことで、中華鍋で作るチャーメンとは違いまっしゃろ。

文屋 善明 中華料理のチャーハンと西洋料理のピラフとは違いまっしゃろ。

大垣 收ピーター 焼き飯とチャーパンとピラフたしかに違う。
神戸は、焼き飯と焼きそばのコラボそば飯もある。といっても焼きそばに冷ご飯混ぜてもらってあたためて食べるのが元々。セコイ事が起源。
すてるはずのソースを作った残りカスをどろソースとして販売。
プリンアラモードやチョコパで使った果物の残りカスをミキサーでまぜて、ミックスジュースやといって売る。「もったいない」の気持ちがそのまま商売に!

大垣 收ピーター こけてもたたではおきまへん。つかむもんがなかったらイヌのババでも掴んでたってやるの気持ちでっさかいなぁ

文屋 善明 それはどこでんねん。大阪人はそんことしまへん。ただ、一寸でも美味いもん食いたいという根性があるちゅうだけや。

萩野 秀子 お疲れ様です。大阪は食い倒れの町ですから、食べ物は美味しい所多いです。北海道も家族、新婚旅行、上の子供が高校の修学旅行で行きましたが海鮮どんぶりがイクラが入っていて美味しかったです。どうでしたか?

萩野 秀子 そばとご飯を混ぜていためるそば焼き飯があり、醤油、ソースで味をつけます。加古川のかつめしもあります。

Saori Koyama すごいバトルしてますねぇ(笑)。ちなみに和歌山には大阪流のたこ焼きがほとんどなくて、みーんなキャベツが入ってますねん。これやったらたこの入ったお好み焼きやんかっ。なんでやねんっ?!
とゆうても通用しません。なんでキャベツ入れへんの?ほな、なに入れんの?なんて言われます〜(^^;

堀 俊子 文屋先生の大阪弁 嬉しいほんまに、お好み焼きやたこ焼き、カレーライスが、ライスカレーか わからへん!すんません。住之江の女

Hajime Kawamukai 最近はなくなりましたが、おでんを関東炊き(かんとだき)と大書する店とか、昔はありましたね。きつねうどんは、けつねうろん、に発音が近かったし。一家に一つ以上、モロゾフのプリンのガラスケースがあるのが関西の家庭の標準ですね。

新長田には、そば飯とか、ぼっかけなど地元飯がたくさんありますし。鉄板コナモン祭りも定例イベントになりつつありますの。・・・もっと見る

神戸・ながた まちの情報館 / 長田四大祭 / 秋 食のイベント
i-town-nagata.com

堀 俊子 御座候は、1個買えません。最低三個買わな〜カッコ悪いねん。

Hajime Kawamukai 左様でござりますなぁ。御座候1個買いは、一人でその場で食べます宣言に近うござりますゆえ、いけませんなぁ。私は、10個買い標準で御座候。もとは、姫路のお城前銘菓でござるが。

堀 俊子 まあまあ関西は 神戸や和歌山、奈良 京都、姫路 ややこしいな〜みんなまあるく なんとか、ピアノや(=^..^=)ミャー

Hajime Kawamukai 播州と摂津の国は、ずいぶん違うので。播州では、女の子も「だぼっ」ていいますが、摂津の国では言いませんなぁ。電車やバスでJKのみなさんがだぼって、声高に仲間内で騒いでいるのを聞くと、あぁ、播州に帰ってきた、と感じます。そーいえば、姫路発のアイドルあややAKA松浦亜弥さん、さいきんききませんなぁ。

<補遺>
食い物についての雑談は楽しいね。


今週のローズンゲン2013 04/21〜04/27

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今週のローズンゲン2013 04/21〜04/27

日々の聖句2013 04月21日(日)
主よ、わたしたちを御心に留め、祝福してください。(詩115:12)
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。(ルカ12:28)
私の黙想:
「祝福してください」という言葉が私の心に留まった。「心に留まる」ということは、そのことを意識し、存在を認め、そのことについて配慮することである。「祝福」ということについて考えるとき、イサクに向かって、悲痛な叫びをあげて激しく泣き「このわたしをも祝福してください」と訴えたエサウを思い出す(創世記27:34)。祝福という行為には「霊を与える」という意味が込められている。サウル王が神の言葉に従わなかったとき、「主の霊がサウルから離れた」(1サムエル16:14)。祝福がキャンセルされることもある。つまり祝福が取り上げられる。
キリスト教における重要な儀式に「信徒按手」「聖職按手」「主教按手」という行為がある。これは「祝福の伝達」という意味が込められている。聖職者になるということは「祝福の伝達」に参加すること、祝福された者になるということである。最も悲劇的な人生は、人の目には聖職という地位に立ちつつ、祝福を取り上げられて生きるということである。

日々の聖句2013 04月22日(月)
わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。(レビ26:12)
神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせました。(コロ1:19)
私の黙想:
約束の地での幸せな生活の約束。あなたたちは食物に飽き足り、国のうちで平穏に暮らすことができる。わたしは国に平安を与え、あなたたちは脅かされることなく安眠することができる(5-6a )。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちに子を生ませ、その数を増し、あなたたちとわたしの契約を立てる。あなたたちは前年の穀物を食べ尽くさぬうちに、それを倉から運び出して、新穀を倉に納めるようになる(9-10)。
それにしても、そのために犠牲になる側から見るとたまったものじゃない。「わたしはまた、猛獣を国から一掃し、剣が国を荒廃させることはない。あなたたちは敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす。あなたたちは五人で百人の敵を、百人で一万の敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす」(6b-8)と言う。凄まじい。こういう激しい言葉が「あなたたちは脅かされることなく安眠することができる」という言葉と並んで語られる。こういう言葉を「神の言葉」として聞き、教えられ、育った人間を考えると恐ろしくなる。イエスが育った環境がこれである。その中でイエスはそれを反面教師として「平和の神学」を求めた。

日々の聖句2013 04月23日(火)
御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。(詩119:130)
だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。(ヘブ2:1)
私の黙想:
こういうことを書くと笑われるかも知れないが、聖書の言葉は本当に不思議だと思う。時代も文化も価値観も全然異なる文書が、今の私に語りかけるということ。これをどう説明したらいいのか。普通の文書は読み手の問題意識やその文書を読み解こうとする意志によって、その世界に分け入るという行為(働きかけ)が求められ、それに応じて「理解され、感動する」。ところが、聖書の言葉は言葉の側から働きかけて来て、私の決断を迫る。これは体験した者にしか通じない説明かも知れない。この体験がないと説教は説教にならず、万葉集の解説やギリシャ神話の解読と同じように、古典文学の味わいにすぎなくなってしまう。これを体験してしまうと、それを誰かに話して、分かち合いたくなる。

日々の聖句2013 04月24日(水)
低くされたわたしたちを、御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(詩136:23)
今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、イスラエルの民全体も知っていただきたい。キリストの名によるものです。(使徒4:9-10)
私の黙想:
私たちを低くした者は誰だろう。この詩の流れからいうと、敵(バビロン帝国か?)であろう。私たちの人生には順風の時もあれば、逆風の時もある。時には(敵に)敗北するときもあれば、自分の責任において失敗することもある。もう駄目だと思うときもある。そういう場合に私たちは「低くされる」。いや、本当に低くされなければならない。低くなったときに、高い所からは見えなかったものが見えてくる。何よりも自分自身を知る。自分が誰に支えられ、活かされているのか。それこそが、何にも代え難い恵みである。詩136編は創世記以来のイスラエル史を振り返っての壮大な叙事詩であるが、他の全ての感謝とは感謝の質が異なる。

日々の聖句2013 04月25日(木)
主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。(詩27:1)
イエスの言葉:なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。(マタイ8:26)
私の黙想:
何かしら日本語に落ち着きがない。それで他の翻訳と一通り読み比べてみた。口語訳:主は私の命の砦だ。私は誰を怖じ恐れよう。文語訳:主はわが命の力なり。わが懼るべきものはたれぞや。祈祷書:主は私の命の砦、私は誰をはばかろう。フランシスコ:主はわたしの命の砦、わたしは誰をはばかろう。新改訳:主はわたしの命の砦、誰をわたしはこわがろう。岩波訳:ヤハウェがわが命の砦、誰にわたしはおののこう。
要するに、1節前半の「イラー」と後半の「エフハット」(両方とも「わたしは恐れよう)という意味)を訳し分けようと苦労している。口語訳だけが同じ訳語。つまり、原語におけるニュアンスの違いと日本語のボキャブラリーと言語感覚の差が翻訳に現れている。要するに「私には怖いものはない」ということである。その通り、主が私の命の砦なら、私には怖いものはない。
イエスの次の言葉を思い起こす。「人々を恐れてはならない。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」マタイ10:26-31)。

日々の聖句2013 04月26日(金)
主の道はことごとく正しく、御業は慈しみを示しています。(詩145:17)
あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(フィリ1:6)
私の黙想:
ここでの「主の道」とは何か。普通、「主の道」といえば、私たちが歩むべき「道」だと思ってしまう。何か欠けている。この「主の道」とは主が歩む道である。口語訳では「主はそのすべての道に正しく」、フランシスコ会訳では「 主の歩まれる道」、祈祷書訳では「主の行われることはすべて正しく」と訳されている。そう訳すことによって、前半の「正しく」と後半の「慈しみ」とがバランスを取ることができる。ヤハウェは正義の神であり、愛の神である。ヤハウェにおいては「愛する」という目的を達せいする方法も「正義」である。あるいは神の愛は正義によって実現し、神の正義は愛を内包する。愛即義、義即愛。詩人はそのことを高らかにほめたたえている。

日々の聖句2013 04月27日(土)
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。(イザ55:3)
あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。(ヘブ6:12)
私の黙想:
今日の聖句に次の言葉が続く。「ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに」。 こういう言葉を読むとイヤな気分になる。「やはり、あなたはユダヤ人の神ですか」。どういう理屈で、ユダヤ人の神が「私たちの神」になるのか。逆に、「日本人の神、天照大神」が「みんなの神、世界の神」にならないのか。ヤハウェと天照大神とは何を根拠に、どう違うと言えるのか。同じ神だと言い切ってしまったら何故いけないのか。私の頭の中に居られる神、「あなたは誰ですか」。いずれにせよ、「頭の中」だけなら、それは「私の神観念」であるから、無害である。しかし私が信じる神、「あなたはいったい誰ですか」。どうして、あなたはユダヤ人の神であることに拘っておられるのですか。何時、あなたはキッパリとユダヤ人との特別な関係を断ち切り、普遍的な神となられたのですか」。

昨日のツイート 05/04

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お早ようございます。主の平和。聖霊原論をまとめる。内なる言葉としての聖霊。『藝人春秋』を中断して、小室直樹の『憲法原論』を読み始める。思想家というより教師タイプ。分かり易くて面白い。夜は疲労困憊してあんず酒の水割り一杯でダウン。9時過ぎに就寝、4時半起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 04:47:34

金丸 勝彦さん、小杉 義信さん、宮脇 温子さん、他21人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。雨の予定です。良き日となりますように。お祈り致します。体に気を付けて下さい。

文屋 善明 「原論」という言葉を使ってみました。英語でいうと「principle」で、意味は「初めの一歩」「根本原理」「基準」。体系づけられた「論」の元になるもの。聖霊について論じる場合にこれだけははずしてはならないものという意味で「聖霊原論」と名付けてみました。

今日の名言:RT @meigennavi:
もっとも立派な武器はもっとも大きな悪をなす。知恵深き人は武器に頼ることはしない。彼は平和を尊ぶ。彼は勝っても喜ぶことをしない。戦勝を喜ぶことは殺人を喜ぶことを意味する。(老子)
<一言>彼らはヤスクニに行って何を祈るのだろうか。まさか次の戦争では必ず勝ちますからとでも祈っているのではないだろうね。
posted at 05:28:21

金丸 勝彦さん、春木 孝之さん、野間 悦三さん、他15人が「いいね!」と言っています。

三宅 善信 おはようございます。

文屋 善明 三宅先生、お早うございます。この名言への<一言>、三宅先生に読まれていると思うと、こそばいです。

濱 和弘 文屋先生の文章を拝見して、居合いの奥義の「鞘の内」を思い出しました。武で争うのではなく、鞘から刀を抜かぬ内にことを納めるのが最善の道。まさに平和の道ですよね。また剣道においては、一本をとっても決して喜んではいけません。柔道のようにガッツポーズもだめ。したら一本を取り消されます。そのわけを尋ねた際に、「剣道で一本を取ったということは、相手を斬ったということで、斬られた側には深い悲しみが残る。斬ったことを喜ぶことはできない。本来は鞘の内であるのが一番なのだ」と言われたことがあります。

文屋 善明 それこそ日本の武士道ですね。柔道も相撲も、本来そうあるべきだし、そうだったのに、その美しさが失われてしまいましたね。それが国際化なら国際化しない方がいい。「礼」で始まり「礼」で終わる。

濱 和弘 同感です。だから全日本剣道連盟は、かたくなに剣道のオリンピック参加を拒んでいます。柔道の轍を踏まないようにしているんですね。

文屋 善明 いいことです。世界の人が「剣道」をしたいなら、日本に来て日本文化を学びなさい。剣道はそれからでス、という態度いいですね。

金丸 勝彦 「戦勝を喜ぶことは、殺人を喜ぶことを意味する。」日本国を引っ張っていく方々に肝に銘じていただきたいです。

「昨日のツイート 05/03 対馬伝道・由木虎松伝道師・バックストン司祭」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/1a35a3d5fb2ef90d79cf35032994d66…
posted at 06:19:00

日々の聖句2013 05月04日(土)
耳を植えた方に聞こえないとでもいうのか。目を造った方に見えないとでもいうのか。(詩94:9)
弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(ルカ9:46-48)
私の黙想:
今日の聖句は実に面白い。こういう発想、こういう議論の展開はいかにもユダヤ人的である。「神はご自分にかたどって人を創造された」(創1:27)この発想を反転させると、人間が神を作ったというフォイエルバッハからマルクスへと展開された思想になる。

お目覚めの花。「昨日、博多では大変な人混みだったらしいね」「お天気も良かったし」「船で来した人もいたみたいよ」「今日は、もっと集まるかもね」「200万人ですって」「やはり博多どんたくは日本一の祭だね」「私たちだって、これだけ集まれば迫力あるでしょう」。

金丸 勝彦さん、松永 健治さん、冨永 勲さん、他34人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 Selamat pagi どんたくに負けない賑やかさで、ございます…\(^o^)/ bagus!

Su Su kirei hana desu ne.

文屋 善明さんが二橋 元長さんの写真をシェアしました。
これでは自国内で原発廃止できないわけですよね。
福島第一原発の事故の影響で、未だに16万人が故郷に戻ることができないでいるのに、、安倍首相は、「過酷な事故を経験したから、安全技術が高まった」という理屈で、原発輸出をすすめようとしている。
人々のいのちやくらしよりも、原発利益共同体の利益の方を優先するようだ。

玉城 豊さん、万代 麻奈さん、寺田 由志子さん、他13人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 金儲けのためなら、他国を滅ぼすこともいとわない拝金主義者。

文屋 善明 日本の原発がすべて停まっても、彼らは「停まっていません、一時停止あるいは調査停止です」と言い切るのでしょうね。フクシマが終わっていないのに、終わったと言い続けるのと反対に。

文屋 善明さんが横野 朝彦さんのリンクをシェアしました。
15時間前
非常に参考になります。
日本国憲法”超”口語訳 前文〜国民の権利 : 日本国憲法”超”口語訳とか
blog.livedoor.jp
 色々なところに転載されていますがオリジナルを書いた者として速やかに質問やご指摘にお応えできるように改めてこちらに載せることにしました。ご意見やご感想、苦情、罵詈雑言等がございましたらコメント欄かメッセージにてお願いいたします。 僕は専門家でもなんでもな

玉城 豊さん、服部 弘一郎さん、小川 圭一さん、他10人が「いいね!」と言っています。

<補遺>
特になし。

昨日のツイート 05/05

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お早ようございます。主の平和。昇天後主日の説教「座して待て」を仕上げる。小論「聖霊についての一試論」をまとめる。聖霊降臨後の諸主日の説教のためにルカ福音書全体の構成と諸主日の福音書テキストとの関係を調べる。三好迪『旅空に歩むイエス』(講談社)を読む。外出なし。9時半に就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:05:30

今日の名言:RT @meigenbot:
恋が消えなければ、夫婦の愛情は起こらない。(田山花袋『妻』)
<一言>うーむ、成る程。納得。これは名言だ。
posted at 05:48:44

「昨日のツイート 05/04」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/770c8535d2e8090549f8cc7365ac23c…
posted at 06:21:52

日々の聖句2013 05月05日(日)
あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。(詩4:4、口語訳)
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。(エフェ4:26)
私の黙想:
聖書の教えによると、怒ること自体は罪ではない。でも一日を超えて怒り続けると罪になる。たとえ怒りの原因が続いていたとしても、怒る側は怒ったままで夜を過ごしてはならない。明日の朝、まだ怒りの原因が続いていたら、改めて怒り直す。たとえその怒りが前日より倍加しようと構わない。2つのことが教えられる。怒りの原因を作っている側に改善のチャンスを与えること。日を超えて怒ることは怒る側の精神に害を与える。喜びは常に、怒りは一日だけで。

鎌野 健一さん、野間 悦三さん、糸原 由美子さん、他23人が「いいね!」と言っています。

Satoshi Tanaka 起こること自体は罪ではない。自然な感情を押し殺すことは無い、と言うみ言葉に救われる気がします。怒りも感じないとなると、逆に喜びも感じない、あまりにも冷たい人間になってしまいそうですね。むしろ、共に喜び、共に怒り、共に悲しむ、そのように心動かす人でありたいと思います。
昨日 6:38 · いいね!を取り消す · 1

寺田 由志子 礼拝に行けない自己理由を作って本日も参列出来ず。(T_T) 文屋先生のメッセージを拝見して、説教を聴いたような気分になっていることを反省しています。来週こそは!

お目覚めの花。「今日は主日」「心を開いて、自分の殻から飛び出そう」

大野 泰男さん、野間 悦三さん、冨永 勲さん、他35人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 今日も、目がシャキ…!!! bagus! 善き日をお過ごし下さい。

細野 洋子 きれい!可愛い…私みたい…(^^ゞ

文屋 善明 一寸影があるところが魅力です。

Su Su kirei.

ただ今、八幡聖オーガスチン教会での礼拝を終え帰宅しました。今日は日本聖公会法規の「当然の基本財産」について考えました。

文屋 善明さんがリンクをシェアしました。
昇天後主日 <講釈>「エルサレムに座して待つ」 使徒言行録1:12-26 をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/8f40c81d0694377797e9c1b9cbd06bbe

昇天後主日 <講釈>「エルサレムに座して待つ」 使徒言行録1:12-26 - 落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>
blog.goo.ne.jp
2013R07(L) 2013.5.12 昇天後主日 <講釈>「エルサレムに座して待つ」 使徒言行録1:12-26

清水 晴好さん、松井 信一さん、北村 良輔さん、他10人が「いいね!」と言っています。

<補遺>特になし

今週のローズンゲン2013 04/28〜05/04

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今週のローズンゲン2013 04/28〜05/04

日々の聖句2013 04月28日(日)
神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう。(ヨナ3:9、口語訳)
神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。(1テサ5:9)
私の黙想:
預言者ヨナが悪の蔓延るニネベの町に派遣され、神の刑罰を語る言葉の一部。滅びを語りつつ「神の心変わり」の可能性を語る。これはヨナの「余分な言葉」である。ヨナにはそのことが既に分かっていた。ヨナはそうとうに優れた預言者であったらしい。ヨナの働きの結果ニネベの人々は悔い改めた。そのため神の怒りは治まりニネベの町は滅ぼされなかった。ヨナ書の本当の物語はここから始まるが、それはさておき、ヨナの預言活動の成功の秘密は何だったのか考えさせられる。その秘密が今日の聖句に隠されているように思う。
ヨナはこの説教の中で「われわれ」と言う。つまりヨナは自分自身をニネベの町の人々と同じ立場において「われわれ」と言う。ニネベの人々の滅びを語りつつ、ヨナの説教は上から下へではない。ニネベの人々と同じ地平に立って、自分自身を滅ぼされるべき人間として語る。牧師の説教もこうでなければ、人々は聞き入れない。
口語訳の最後の一言「誰がそれを知るだろう」という言葉は何を意味しているのだろうか。この言葉の故に口語訳が選ばれたのであろうと思われるが、この言葉は「謎」である。ヨナは思わず余分なことを言ってしまって、慌ててそれを否定しようとした言葉なのか。とにかく、非常に気になる一句である。

日々の聖句2013 04月29日(月)
貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。(申15:7、口語訳)
パウロは言った。「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」(使20:35)
私の黙想:
「貧しい兄弟」とは誰のことか。口語訳では「主が賜る地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば」と規定されているが、新共同訳では「どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば」とある。全イスラエルか、町内か。問題は同胞の範囲である。気持ちとしては「顔見知りか」「誰か分からないが、ただ同胞というだけ」か。
沖縄問題が頭をよぎる。東北の災害問題も頭をよぎる。沖縄を「切り捨てる」ことによって成り立ったサンフランシスコ講和条約、それは本当に日本の主権の回復であったのか。むしろ日本のアメリカに対する日本の第2の降伏調印である。

日々の聖句2013 04月30日(火)
遠くにいる者よ、わたしの成し遂げたことを聞け。近くにいる者よ、わたしの力強い業を知れ。(イザ33:13)
パウロの手紙:あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。(1テサ1:4-5)
私の黙想:
「わたしの成し遂げたこと」も「わたしの力強い業」も同じことを指している。信仰の原点、根拠、出発点は神が成したこと、神の力強い業にある。いや、私が実際に経験したことが「神が成したこと」と受け止めたことが信仰の原点である。いや、あれは私がしたこと、私の努力の結果であるとか、偶々そうなっただけと考えている限り信仰は成立しない。
「それ」とは何か。ある人にとっては死ぬような病気が治ったこと。ある人にとっては妻と出会ったこと。ある人にとっては今私がここにいるということ、ある人にとっては「Cogito ergo sum(われ思う、故に我あり)」、ある人にとっては「Gott ist tot(神は死んだ)」、ある人にとっては燃える柴、要するに人間が経験するすべてのことがそ「それ」になる権利を持っている。問題は「それ」を神の成したことと受けとめるか、否か。
私は佐世保の地に自分の足で立ったとき、あり得ないことが現実に起こったと思った。考えてみると、あの時の経験がすべての始まりであり、現在でもある。


日々の聖句2013 05月01日(水)
あなたたちはわたしの戒めを忠実に守りなさい。わたしは主である。(レビ22:31)
互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラ6:2)
私の黙想:
ユダヤ教の律法主義を厳しく批判するパウロは、「キリストの律法」と言い換える。キリストの律法とは「互いに重荷を担い合う」ということに尽きる。つまり人間が人間である限り従うべき当然の義務とでもいうべきか。「当然」とは俗にいうと「当たり前の」という意味で、この「当たり前のこと」を定義づけたり、その根拠を説明したりすることは非常に難しい。私にとって「当然のこと 」が他人にとっては「当然ではないこと」ということがあり得る。当然のことの最も典型的な用例は「基本的人権」であろう。基本的人権とは人間としての当然の権利、これを法律用語辞典では「人間の生存にとって不可欠であると考えられる権利の概念」と解説されている(自由国民社版『図解による法律用語辞典』)。
「互いに重荷を担い合う」ということは、人間が人間として存在する場合の人間同士の「当然の関係」である。
日本聖公会の法規では教会の基本財産について「当然の基本財産」(第176条)と「議決による基本財産」(第177条)とに分けている。177条については分かりやすいが176条の「当然の基本財産」についてはその根拠を説明するためには、教会とは何かという基本的な理解を共通にしていないと説明困難である。


日々の聖句2013 05月02日(木)
あなたの慈しみをもって、わたしを力づけてください、あなたの僕への仰せのとおりに。(詩119:76)
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。(2コリ1:5)
私の黙想:
最後の一句が引っかかる。この句は何だろう。フランシスコ会訳ではこの句を冒頭に持ってきている。そうするとスッキリする。口語訳も新改訳ももっと多くの言葉を使って丁寧に訳している。たしかにヘブライ語原文では、新共同訳の順序になっている。
本文は「あなたの慈しみがわたしの励ましになるように」。神が慈しみ深いことは永遠不変であるが、それが私の励ましになるかどうか。それは私の在り方、生き方による。それを実現するのが、私の神の言葉に対する信仰による。
門叶 国泰
新共同訳が「力づける」と訳した箇所のマソラ原文の動詞は「ナーハム」のpiel形(強意)であり、その原意は「comfort,console」である。この「ナーハム」は、「ノアの命名(創5:29)」の由来となった旧約の「キーワード」の一つであり、通常は「慰める」と訳される。新共同訳の詩編の訳者(119:50も同じ)は、これを「力づける」と訳しているが、同じ新共同訳でも創世記24:67(イサクへの慰め)、イザヤ57:18(へりくだる者への慰め)では、文字通りに「慰め」と訳している。翻訳者が違うのであろう。フランシスコ会訳は「慰め」と訳しているので、カソリック側が担当した箇所ではなさそうだ。口語訳・新改訳「慰め」、KJ&RSV「comfort」。

文屋善明
確かにここは「励まし」よりも「慰め」の方が相応しいと思います。「励まし」には前に押し出すニュアンスがありますが、「慰め」には現状に堪え忍ぶ力を感じます。

日々の聖句2013 05月03日(金)
主よ、あなたの慈しみが、とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください。(詩138:8)
わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エフェ2:10)
私の黙想:
言葉とは面白いものである。「御手の業」(新共同訳)というのも「あなたの手の業」(フランシスコ会訳)というのも訳語としては意味の違いはない。ところが印象的には前者は今も継続している神の創造の業をイメージし、後者は「わたし」をイメージする。何故だろうと考える。「あなた」という語が入るか入らないかの違いである。おそらく「あなた」という語が「わたし」を引き出しているのか。「御手」という敬語が関係を疎遠にしているのか。「あなたの手」という言葉にはぬくもりを感じる。「御手」という言葉には神の偉大さを感じる。この詩においては「聖なる神殿」、「地上の王は皆」、「大いなる栄光」が高らかに歌われると共に、小さいわたしに「あなたは手を伸ばし」「あなたの右の手」が救ってくださると歌う。神の偉大さは偉大さの故に、小さいわたしには遠くに感じるが、その関係を「放さない」で下さいという祈りである。漫才での相方がどんどん有名になっていくとき、それを眺めている残された相方の寂しさに通じる。敬語の使い方は難しい。

日々の聖句2013 05月04日(土)
耳を植えた方に聞こえないとでもいうのか。目を造った方に見えないとでもいうのか。(詩94:9)
弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(ルカ9:46-48)
私の黙想:
今日の聖句は実に面白い。こういう発想、こういう議論の展開はいかにもユダヤ人的である。「神はご自分にかたどって人を創造された」(創1:27)この発想を反転させると、人間が神を作ったというフォイエルバッハからマルクスへと展開された思想になる。

昨日のツイート 05/06

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お早ようございます。主の平和。八幡聖オーガスチン教会での礼拝奉仕。昼食を挟んで4時過ぎまで懇談。法憲法規について。臨終、死、死後のこと。帰宅後、法憲法規審議委員会の議事録を検討。次主日の<講釈>「エルサレムに座して待つ」を発送。夕食は久しぶりに久子製のお好み焼き。9時半に就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:06:36

今日の名言:RT @meigenbot:
傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子を身につけるものだ。そして往々この鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう。(三島由紀夫『小説家の休暇』)
<一言>帷子(かたびら)とは夏に着る裏地のない衣服。そんなに武装して何を守るって言うんだい。
posted at 06:01:48

金丸 勝彦さん、冨永 勲さん、菊池 光徳さん、他16人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 アダムのいちぢくの葉っぱ以来のことですね。

「昨日のツイート 05/05」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/3354fc7580e146eeb77cf10e6bd0ed6…
posted at 08:39:42

「今週のローズンゲン2013 04/28〜05/04」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/876563519d5723a5cfa35e29986957d…
posted at 08:54:12

「昇天後主日説教「エルサレムに座して待つ」 使徒言行録1:12-26」をブログにアップしました。
http://bit.ly/12a5wiW
posted at 11:33:08

文屋 善明さんが真野 玄範さんの近況をシェアしました。
いい説教です。感動しました。まさに、この通りです。このような「政治問題?」が教会の説教台から語られ、それを聞くことが出来た信徒たちは幸いです。この説教は一人でも多くの、キリスト者・非キリスト者を問わず伝えられるべきメッセージであると思います。
昨日の説教をアップしました。沖縄での平和協議会、WCC総会のガイドブックで翻訳を担当した箇所、FBで尾関さんが紹介されていた「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について-平野三郎氏 記―」(憲法調査会事務局)、憲法記念日等々のことを念頭に置きました。つなぎ合わせになってしまったかもしれませんが…。
http://michinori-mano.net/?p=2511#comment-184

礼拝後、愛餐会で、幣原喜重郎氏がよくエリザベス・サンダースホームによく来ていたとお聞きしました。

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日々の聖句2013 05月06日(月)
賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである。(出23:8)
実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教えています。(テトス2:11-12)
私の黙想:
人を裁く立場にあるすべての人々への単純率直な警告。色々な「賄賂」がある。研究費、地域開発費、宣伝広告費、パーティ会費、献金だって賄賂になる。賄賂は出す人間も受け取る人間も相互に相手を卑屈にし、馬鹿にし、人格を歪める。私が心配するのは、彼らの子供のことであり、家族のことである。

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水草 修治 以前、門田隆将『裁判官が日本を滅ぼす』という本を読んだことがあります。一番驚いたのは、「大手銀行を訴えても勝ち目がない、なぜなら裁判官の定年退官後の花道が大手銀行の顧問弁護士であるから」ということばでした。しかも、実名で事例を挙げて、です。いわば、後払いの合法的賄賂というのでしょう。

お目覚めの花。今朝のお目覚めの花は3回シリーズです。
「私はなんの花でしょう」「ヒント1:南の国で咲いています」。

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水草 修治 もしかしてジャスミン?でも葉っぱがちがうかなあ。

お目覚めの花第2段。ヒント2:私の実は人を狂わせるほどいい香りがします。ヤコブの息子エサウがこの香りに惑わされて、「家督の権」を双子の弟に譲ってしまったとか。

金丸 勝彦さん、宮脇 温子さん、Su Suさん、他19人が「いいね!」と言っています。

清水 晴好 コーヒーの花に見えるんだけど、違うかな?

村田 多鶴子 葉っぱから、コーヒーと思いますが…

水草 修治 なるほど!

文屋 善明 皆さん方の博識には驚きました。

水草 修治 文屋先生。エサウが食べた「赤いもの」というあのレンズマメは、実はコーヒー豆だったという説があるんですか?

お目覚めの花第3段。ヒント3:写真をよく見て下さい。可愛らしい赤い実が見えるでしょう。答え:私はコーヒーです。

金丸 勝彦さん、Su Suさん、野口 富隆さん、他19人が「いいね!」と言っています。

糸原 由美子 賀川記念館天国屋カフェではわたくしがコーヒー豆を自家焙煎!しています。フライパンで。なかなかいい感じにできます。

文屋 善明さんが大脇 友弘さんのリンクをシェアしました。
井上ひさしさんは亡くなられたが、彼が語った言葉は今も生きている。これほど分かりやすい憲法の話を聞いたことがない。第9条は日本では瀕死の状態ですが、世界では今も生きています。

井上ひさしさんは憲法九条をこのように語った
www.youtube.com
井上ひさしさんは憲法九条をこのように語った 2004年7月24日 九条の会発足記念講演会、2008年6月21日 岐阜・九条の会憲法セミナー 井上ひさしさんへの追悼の思いをこめて。井上ひさしさんは憲法九条をこのように語った。 映像ドキュメント.com(http://www.eizoudocument.com/)

平田 武治さん、大脇 友弘さん、金丸 勝彦さん、他21人が「いいね!」と言っています。

北村 良輔 私も、井上さんの言葉で語られた憲法が大好きです(^^) ご紹介ありがとうございました(^^)

寺田 由志子 シェアさせていただきました。ありがとうございました。

竹花 京子 シェアします!

文屋 善明さんがやまなか けんじさんの写真をシェアしました。
権力者は憲法を触ってはいけない。とくに96条は。ヒットラーは民主的手続きでナチスを形成した。
「何に使うかわからないけど、私に銃を持たせて」を言うに等しいと糺弾する小林節慶大教授は改憲論者。その企ては憲法改正のルール以前の憲法破壊だとも。
http://p.tl/20Yf ←「みのもんたのサタデーずばッと」でも憲法制度の破壊性を指摘

玉城 豊さん、金丸 勝彦さん、松永 健治さん、他13人が「いいね!」と言っています。

なまず公園 (写真21枚)
読書に疲れ、1時間ほど広いなまず公園を散歩してきました。

こーる のりこさん、大津 博子さん、金丸 勝彦さん、他33人が「いいね!」と言っています。

小泉 達彦 最近は読み疲れるほど本を読んでいません。イカンです。

文屋 善明 目が悪くなったので、直ぐに疲れます。

Seiko Takayama お散歩日和でしたし、ちょうど良い息抜きになったことでしょう。素敵なお写真をありがとうございます。

茅野 勇 私は、先程、京都に戻った娘とともに、2時間程サイクリングコースに沿った公園を散歩しました。木々が繁ってとてもいい散歩道ですが、さすがに、今日は少し暑かったです。GW最後の日をバーベキューで楽しんでいる人がたくさんいて、うらやましかったです。

<補遺>特になし。
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