Quantcast
Channel: ぶんやさんち

2019 日々の聖句 1月27日㈰~2月2日㈯

$
0
0
2019 日々の聖句 1月27日㈰~2月2日㈯

2019 日々の聖句 1月27日㈰
聖言にしたがい我をささへて生存しめたまえ。わが望につきて恥なからしめたまえ。(詩119:116)
キリストの言葉:視よ、我なんぢの前に開けたる門を置く、これを閉ぢ得る者なし。汝すこしの力ありて、我が言を守り、我が名を否まざりき。(黙示録3:8)
私の黙想: 
文語訳を読んでいると漢字と送り仮名とが、かなり自由に使われていることに気がつく。例えば今日の聖句「聖言に従い我を支えて生存しめたまえ。我が望につきて恥なからしめたまえ」と書くことも可能である。おそらく、礼拝での聖書朗読を配慮しているのであろう。
今日の聖句、新共同訳は面白い。「あなたの仰せによりすがらせ、命を得させてください。わたしの望みを裏切らないでください」「よりすがらせ」、「裏切らないでください」。詩人は謙遜を超えて、もう「卑下」の状態である。私たちの信仰とはそんなものだろうか。口語訳では、「あなたの約束にしたがって、わたしをささえて、ながらえさせ、わが望みについて恥じることのないようにしてください」。ついでに協会訳を開くと、「私が生きていけるように、あなたの仰せに従って私を支えてください。自分の望みについて、私が恥じ入ることがないようにしてください」と、見事に文語訳、口語訳を回復している。これなら、私たちの許容範囲である。
2019 日々の聖句 1月28日㈪
歓喜(よろこび)と救いとの聲は正しき者の幕屋にあり。主の右の手は勇ましき動作(はたらき)をなしたまう。主の右の手は高く上がり、主の右の手は勇ましき動作(はたらき)をなしたまう。(詩118:15~16)
汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。(フィリピ4:4)
私の黙想:
この短い聖句に、「右の手」という言葉が3回も繰り返されている。これはどの訳でも同じである。特に主の右の手は「勇ましい」という言葉が2回繰り返されている。ここで用いられている「動作」を「はたらき」と読むのには、現代語では違和感がある。しかしそれが明治・大正時代の言葉なのであるから仕方がない。
「右の手」、神に右も左もあるのか、疑問は残るが単純に考えて、力強さの象徴であろう。
神が動けば、神は意味なしに動くことはないし、動けば何かが起こる。
この言葉口語訳では率直に「働き」、新共同訳では「御力」、協会訳では単に「力」と訳している。この差異は面白い。力とは発揮されて働きとなるが、働かなくても力は力である。
2019 日々の聖句 1月29日㈫
イスラエルの企望(のぞみ)なる者、その艱(なやめ)るときに救うたまう者よ、汝いかなれば此地に於て他邦人(ことくにびと)のごとくし、一夜寄宿(ひとりやどり)の旅客(たびびと)のごとくしたまうや。(エレミヤ14:8)
今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧(おぼろ)なり。然れど、かの時には顏を對(あわ)せて相見ん。(1コリント13:12)
私の黙想:
ここでは「他邦人(ことくにびと)」という珍しい言葉が出てくる。通常は「異邦人」である。時間の関係で「他邦人」という言葉と「異邦人」という言葉との詳細について調べていない。ただ、残念ながら口語訳以降は使われていない。
口語訳は「異邦の人」、新共同訳では「この地に身を寄せている人」と訳している。
そこで、私なりに勝手に考えると「異邦人」と「他邦人」とは確かに違いがある。日本語でも「異国人」「外国人」おまけに「ガイジン」といういい方もある。人間と人間との関係おいて、「異」と「他」、あるいは「外」との違いは何か。その説明は不要であろう。
協会訳で「希望」が文語訳では「企望」という漢字が当てはめられているのは面白い。これは単なる希望ではなく、その希望そのものを「企画」している者という意味であろう。その神がイスラエルにおいて「ガイジン」のような在り方をしている。
1月20日から始めた文語聖書によるローズンゲン、ちょうど1週間です。ぜひ皆様方のご意見をを伺いしたいと思います。
2019 日々の聖句 1月30日㈬
主は我儕(われら)を、御心に記(と)めたまえり。(中略)われらを惠みたまわん。(詩115:12)
汝らの名の天に録されたるを喜べ。(ルカ10:20)
私の黙想:
新共同訳ではかなり長い文章を短縮しているので、文語訳でも短縮しておく。「御心に記(と)め」を新共同訳、口語訳では「み心に留め」、協会訳では「思い起こし」、ほとんど同じようでないか違いがある。
これらの言葉を比較しながら、ルカ福音書の十字架上のイエスの言葉を思い起こす、というより心に留める。共に十字架上にいた悪人の一人が「イエスよ、あなたの御国にいらっしゃれたら、私のことを思い出してくださいますように」(23:42、田川訳)、これに対するイエスの言葉は省略しておく。これを文語聖書では「イエスよ、御国に入り給うとき、我を憶え給え」。
「み心に留める」「思い起こす」「思い出す」は、聖書を読む場合の鍵となる単語である。
2019 日々の聖句 1月31日㈭
妄(みだ)りに言を出し、劍をもて刺が如くする者あり。されど智慧ある者の舌は人を癒やす。(箴言12:18)
また船を見よ、その形は大(おおき)く、かつ激しき風に追はるるとも、最小(いとちいさ)き舵にて舵人の欲するままに運(まあ)すなり。斯くのごとく舌もまた小(ちいそ)きものなれど、その誇るところ大なり。視よ、いかに小(ちいさ)き火の、いかに大なる林を燃すかを。(ヤコブ3:4~5)
私の黙想:
新共同訳では、「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒やす」。協会訳は解説の文章のようである。「あたかも剣で刺すかのように軽率に語る語る者がいる。知恵ある人の舌は癒やしを与える」。
この格言、このようにも言えるのではないだろうか。「軽率なひと言は人を殺し、知恵ある言葉は人を生かす」。少々、投げやりな黙想。仕方がない。
2019 日々の聖句 2月1日㈮
我が王よ、我が神よ。 我が號呼(さけび)の聲を聞きたまえ。我、汝に祈ればなり。主よ、朝(あした)に我が聲を聞き給わん。我、朝(あした)に汝の為に備えして俟望むべし。(詩5:2~3)
我、信ず、信仰なき我を助け給え。(マルコ9:24)
私の黙想:
2月初めの聖句は、まさに現在の私の祈りである。「明日を俟つ」。読み方によっては、主ご自身の応答に起き超える。「我、朝(あした)に汝の為に備えして俟望むべし」。
口語訳、「主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます」。
新共同訳、「主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出てあなたを仰ぎ望みます」。
協会訳、「朝が来る度に、あなたに向かって身を整え、待ち望みます」。
祈祷書訳、「主よ、朝ごとにあなたはわたしの祈りを聞き、・・・・」。
2019 日々の聖句 2月2日㈯
汝、踴躍(おどり)をもて、我が哀哭(なげき)に変え、我が麁服(あらたえ)を解き、歓喜(よろこび)をもて我が帶としたまえり。(詩30:12)
その中の一人、おのが醫されたるを見て、大聲に神を崇めつつ歸り来たり。(ルカ17:15)
私の黙想:
「麁服(あらたえ」とは「荒妙」とも書き、粗い布織りの粗末な着物を意味する。この聖句を新共同訳では「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました」。
この詩はダビデが宮殿の建立式で歌ったとされる。「麁服」が質素の宮殿を意味し「帯」が新しい宮殿を象徴するのであろう。
紀元前1000年頃、ダビデが王位に就いたときに、この地方を支配するために有利な場所として名もなき丘の上に砦のような粗末な基地を造り、拠点とした。それが元々のエルサレムである。それはまさに「前線基地」に過ぎなかった。ダビデの地位が確立するに従って「エルサレム」は人口も増え、立派な都になった。そのときダビデは粗末な砦を改築し宮殿とした。

断想:顕現後第5主日(2019.2.10)

$
0
0
断想:顕現後第5主日(2019.2.10)

人間をとる漁師  ルカ5:1~11

<テキスト>
1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
<以上>

1. 文脈
い5:1~6:16までの部分はイエスのガリラヤ伝道を総括する4:42~44といわゆる「平野の説教」と呼ばれている部分の導入部6:17~19とに挟まれひとまとまりの部分となっている。新共同訳ではこの部分は8つの段落からなっている。
      1.漁師を弟子にする(5:1~11)
      2.重い皮膚病を患っている人をいやす(5:12~16)
      3.中風の人をいやす(5:17~20)
      4.レビを弟子にする(5:27~32)
      5.断食についての問答(5:33~39)
      6.安息日に麦の穂を摘む(6:1~5)
      7.手の萎えた人をいやす(6:6~11)
      8.12人を選ぶ(6:12~6)
この箇所を資料としたと思われるマルコ福音書と比較すると、最初の「漁師を弟子にする」以外はほぼマルコ福音書1:40~3:19の順序に従っている。マルコ福音書ではガリラヤ伝道の始めに置かれた「漁師を弟子にする」という記事が、ルカ福音書ではガリラヤ伝道の総括の後に置かれることになった。事柄の順序としてはマルコ福音書の方がスムーズである。
このようにして変更されたルカ福音書の順序を見ると、この部分は時間的順序というよりもイエスと弟子との関係を中心に描かれているという印象を持つ。単純にこの順序を考えるときマルコではイエスの伝道活動において弟子の存在は不可欠であるということがわかる。それに対してルカでは弟子の存在は必要条件ではない。活動の拠点がナザレからカファルナウムに移された初期のイエスの伝道活動(ルカ福音書4:31~44)には弟子は登場しない。マルコ1:36の「シモンとその仲間」という言葉がルカ4:42では削除されている。

2. ペトロ、ヤコブ、ヨハネの召命
本日のテキストはシモン・ペトロとその仲間ゼベダイの子ヤコブとヨハネの3人がイエスの弟子になったいきさつが語られている。この記事もルカはマルコ福音書を参照していることは間違いないと思われるが、かなり違いが大きすぎる。先ず簡単な点としてはマルコでは4人の漁師たちの召命であるがここではペトロの兄弟アンデレが欠けており3人の漁師となっている。その点も気になるがそれよりも大きな問題はマルコ福音書ではペトロたちとイエスとの出会いの前には何の関係もなくイエスは一方的にいきなり「わたしについて来なさい」(マルコ1:17)という。それに対してルカ福音書では故郷ナザレを出たイエスは単独でカファルナウムで伝道活動をしており、その関連でカファルナウムのペトロの家で姑の病気を癒しており(ルカ4:38~41)、イエスとペトロとが顔見知りであったことが前提となっている。
この件におけるマルコ福音書とルカ福音書との最大の相違はペトロがイエスの弟子になる直接的動機となった出来事、大漁の奇跡物語である。このドラマティックな奇跡の結果ペトロは「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深いものなのです」と信仰を告白し、イエスから「あなたは人間をとる漁師になる」と宣言される。

3. 弟子入り伝承プラス大漁伝承
この大漁の奇跡物語はルカが2つの伝承を組み合わせたものである。1つはルカ以前に既に伝承されていた大漁物語(4~9)、もう一つはマルコにおけるペトロらの弟子入りの伝承(マルコ1:16~20)である。ルカはマルコ福音書の記事を読んで、イエスの漁師たちとの出会いと「人間をとる漁師にしよう」というイエスの呼びかけとの間に、大漁物語を挿入している。この大漁物語と非常に類似した物語がヨハネ福音書21:1~14にも見られる。この2つの物語を比較すると共通点が非常に多く、おそらくもともとは同じ伝承であったものと思われる。ヨハネはこれを復活後のイエスと弟子たちとの再会の場に適応している。注目すべきことは、この際会の直後にかの有名な「わたしの羊を飼え」と3回繰り返されたペトロとの対話が続く。
もう一つ注目すべきことは、ルカはマルコの弟子入り伝承に「一切(パンタ)を」という後を挿入する。パンタという後はルカが好む表現です。この表現はレビを弟子にする際にも「彼は何もかも捨てて」(5:28)に引き継がれる。さらにルカはマルコの不定過去形を未完了過去形に直し、従っている状態が現在も継続していることを示し、それを強調するために「今から後」という語を付加する。この句はイエスの命令以前の生活様式とそれ以後とが全く別の新しい状況に移ったことをしめすルカが好む表現である。

4. 「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」
「お頼みになった」。ここでイエスはペトロたちに船に乗せてもらうように頼む。マルコ福音書ではイエスとペトロたちとの出会いは「ガリラヤ湖のほとりを歩いておられた」(マルコ1:16)の出来事として描く。そしてイエスは突然「わたしについて来なさい」と呼びかける。いかにも唐突であり不自然である。マルコはそういうことには無頓着なのだろう。ルカはそういうことはできない。この出来事の前にイエスとシモンとは既に出会っている。しかもイエスはシモンの姑の病を癒している。つまり、シモン・ペトロはイエスに借りがある。そこでイエスはペトロに群衆への説教の手伝いを願う。この段階でペトロは既にイエスの伝道活動に参加している。その上での大漁の奇跡物語である。
群衆への話しが終わると、イエスはペトロたちに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言い出した。イエスのこの言葉は漁のことを何も知らない、まさに漁の素人の「たわむれの言葉」としか思われない。漁の専門家であるペトロの立場から見るとイエスの言葉はいかにも素人っぽい言葉に思われたであろう。しかしペトロはこのイエスの言葉に対して「お言葉ですから」と言って、言われたとおりにする。日本語で読むと「お言葉ですから」と非常にていねいな表現になっているが、「お言葉」という言葉にはレーマという言葉が用いられている。これは「口から発せられた音声としての言葉」という意味である。この段階でのイエスの言葉はまさに「口先の言葉」で、神の言葉というような深遠な意味をもつ言葉ではない。従ってペトロが「お言葉ですから」と言ったとしてもそれは「イエスの言葉」だからというような意味は含まれていない。むしろルカがこの段階でペトロにこのように語らせていることには、一種の皮肉が含まれているように思う。「したってどうせ無駄だけれど、お客さんのいうことですから、まぁ一応はやってみましょう」という「たわむれ」も含まれている。しかし同時にこれはこの物語の結末へ向けての伏線でもある。その点からこの物語の設定となった5:1の言葉は群衆は「神の言葉(ロゴス)」を聞こうとしてイエスの元に集まったのであった。イエスによる普通の日常的な言葉(レーマ)が「神の言葉(ロゴス)」になる。
ルカはこの「神の言葉(ロゴス)」という言葉を4回使っている(5:1,8:11,21,11:28)。

5. 奇跡
ところがイエスの言われた通りに「沖に漕ぎ出して網を降ろすとおびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」。まさに奇跡である。2そうの船が魚で一杯になった。これを見て、ペトロは「イエスの足元にひれ伏した」(5:8)。ここでも用いられている「ひれ伏す」という単語「プロスピプトー」は嵐の時雨風が家の壁を打つような状態を示す非常に激しい言葉で、「恭しくひれ伏す」などという意味ではなく「ぶっ倒れる」とでも訳すべき言葉である。この奇跡を見てペトロはイエスの足元にぶっ倒れたのである。思わぬ大漁で人々は驚き、喜び、踊り、神への感謝を叫ぶ。「やはり神は生きている」。しかし、その中でたった一人ペトロだけはイエスの前にぶっ倒れている。そして言う。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」(5:8)。ここでペトロはイエスに向かって「主よ」と呼びかけている。この言葉は神への呼びかけの言葉である。そこに立っているのは、今まで付き合ってきた、お世話になった「先生(エピスタシス)」(5:5)ではなく、「主(キュリオス)」である。その主に向かってペトロは罪を告白する。ここで言う罪とは通常考える道徳的な罪、あるいは信仰者がよく口にする自己反省に基づく自己の姿を言うのでもない。「それは自分の外にある鏡(絶対他者としての神)に向き合って初めて自分が見える自分の姿である」(藤井孝夫『無花果の木の下で』日本の神学研究会、63頁)。だから、「お赦しください」という言葉ではなく「離れてください」としか言えない。

6. 「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」
このイエスの言葉は、「主(キュリオス)」が語っている言葉である。これを聞くペトロはこの言葉を神の言葉として聞く。従って「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5:5)という言葉は、この言葉に対応する。神の顕現に遭遇し、神の前にぶっ倒れ、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白した人間が、神から「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と呼びかけられたとき、ただ「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えることができる。この答えしかない。この言葉を聖職への召命とだけ思ってはならない。「網を降ろす」ということは神の仕事への参加である。そんな大それたことをわたしはできない、という言い訳は不要である。神があなたを神の仕事の中で用いてくださる。

断想:顕現後第6主日(2019.2.17)

$
0
0
断想:顕現後第6主日(2019.2.17)

平野での説教 ルカ6:17~26

<テキスト>
イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、
18 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。
19 群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。
20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
21 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
22 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。
25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。
26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
<以上>

1.マタイの「山上の説教(垂訓)」とルカの「平野での説教(垂訓)」
20節以下のイエスの言葉は、マタイのいわゆる「山上の垂訓(説教)」(マタイ5:1~)と非常によく似ている。恐らく、同じ資料から取られたと思われる。ところが、この説教をしておられる場面は全然異なる。マタイでは、イエスは弟子たちと共にわざわざ「山に登られ」ている。ところがルカではわざわざ「(弟子たち)と一緒に山から下りて」(6:17)こられて「平らなところ立って」おらいる。ついでに付け加えると、マタイでは「座って」説教をされているのに対して、ルカでは立って「弟子たちを見上げ」(20節)て話しをされている。「平野」と言い慣らされているが、本音を言うと「平地(「平らなところ」)が相応しい。
ここから、私たちは色々と考えたり、想像したりすることができる。そして、その想像していることによって、ここでの説教の理解の仕方が非常に違ってくる。
先ず、注意深く読むと、ルカにおけるイエスの説教は誰に対してなされているのだろうか。はっきりしている。「イエスは目を上げ弟子たちを見ていわれた」(20節)。この説教は弟子たちに向かって語られている。ところがマタイの方では、群衆全体に向かって語られている。これは非常に重要である。

2.山の上での出来事
となると、この平野での説教とその直前の山の上での出来事とが深く関わっていることは明白である。
その前日、イエスは山に登り一人で徹夜の祈りをしておられる。そして朝になって大勢の弟子たちの中から12人の弟子たちだけを「選んで」、「使徒」と名付けておられる。この場合、「使徒」とは「主イエスの権威を分担する者」という意味である。恐らく、そこで何らかの「儀式」が行われたに違いない。
福音書で「使徒」という言葉が用いられるのはまれである。マタイで1回、マルコで2回、ルカは11回持ちいられている。マタイ、マルコは無造作に使っているがルカは慎重である。その上、「12人」を「使徒」と任命したことを記録している(6:13、マルコ3:14)。12人の使徒たちは、昨日までの「弟子」ではなくなった。その行動はイエスの「代理人」としての「権威と責任」がある。私たちでいうと「主教職」であり、こりが将来使徒職へと継承されたのである。
従って、歴史的には「使徒職」は教会成立後のことであるが、その原型はイエスによるというのが初期の教会の権威付けのためであろう。イエス生存中に、12弟子たちが「使徒」と呼ばれることはなかったであろう。

3.「山から下りて、平らな所にお立ちになった」
文脈から見て、この表現にはかなりの含みがある。先ず第1に、「使徒」としての12弟子の使命の本質を示している。使徒職は人々の上に立つ仕事ではない。人々と同じ地平、むしろ人々より下に立つ者である。また、人々の病気をいやし、悩みを分担する者である。もっと、はっきり言うと「人々から触られる者」である。
イエスは、12使徒たちに身を持って使徒たる者の使命を示した上で、次のことを語られた。従って、これらの言葉はあくまでも「使徒たる者」に対する言葉である。決して主教は人々の上に立つものではなく、同じ地平、あるいは低いところにたち、人々を見上げる、これが主教職の原型であるし、またそうでなければならない。

4.平地での説教(20節以下)
ここは既に知られているように。マタイの山上の説教に似ている。強いて違いを拾い上げると、マタイでは「心の貧しい者」をルカは「心の」を省ら略し、ただ「貧しい者は幸いだ」という。イエスに群がる人々は単に「心の」貧しい者たちだけではなく、生活そのものが貧しい人々であったに違いない。だからこそ、ここでイエスはあえて貧しい者が幸いだという。しかも、これは一般大衆に向かって言っているのではなく、弟子たちに向かって語っているのである。
彼らは貧しかったからこそ、イエスとの出会い、イエスの交わりに加わったのであろう。これが弟子たちの現状であった。彼らは「人々に憎まれ、また人の子のため追い出され、ののしられ、汚名を着せられている」。彼らの苦労はこの世においては、決して報われない。しかしイエスは彼らを「幸い」と呼ぶ。彼らにとってイエスから「幸いな者」と呼ばれることだけが、「幸せ」である。もし、彼らがイエス以外の者から「誉められたり」、「尊敬されたり」したら、むしろ警戒しなければならない。これが、「使徒職」の原点であり、主教職の出発点である。使徒職からこの点が失われるとき、使徒職としての「力」が失われ、一つの職業になってしまう。

断想:顕現後第7主日(2019.2.24)

$
0
0
断想:顕現後第7主日(2019.2.24)

イエスはレビを選んだ ルカ6:27~38

<テキスト>
27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」
36 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
38 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
<以上>

1.イエスの弟子選択の基準
12人の弟子の中でも、元税務所員レビが弟子入りしたことを述べているのはのはマルコ(2:14~15)とルカだけである。彼がどういう人物だったのかあまり知られていない。当時の人々の価値観か見ると徴税人は罪人と同類の人々と思われていわば賤しい人々と考えられていたようである。ただ、彼のユニークさは彼がイエスの弟子になる前、人びとから嫌われる取税人であったということである。彼がそのとき税金を集めるという職業についてどう考えていたのか、その彼がイエスから呼びかけられて、直ちに従ったということにも、何の説明もない。それよりも、イエスの弟子になったとき、何の躊躇もなく、むしろそのことを誇りに思ったらしく、それまでの仲間や友人たちを招いて「祝会」を開いたことであろう。
このことはレビが一般の俗人がたちが考えていたように、そのことを「恥ずかしいこと」とは思っていなかったたことを示していたのであろう。その考えは、イエスにも共通する思いでもあったと思われる。

2.きょうの議論はここから始まる。
ファリサイ派の人々やその派の律法学者たち、当時善人と思われていた人々が、その様子を見ていてイエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」。その疑問に対するイエスの言葉が重要である。イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である」(31)。
この言葉はイエスの生き方を示す言葉として、非常に重要な言葉の一つであると考えられる。少し極端な言い方をすると、イエスはこういう生き方をなさったから十字架に張り付けにされたのだ、とさえ言うことができると思う。もし、こういう生き方をしなければあれほどまで、ユダヤ人の指導者たちから憎まれることもなかったであろう。言い換えると、こういう生き方は社会にとって危険な生き方である。
 
3.状況
いきなり話が頂点に達してしまいましたが、もう少しゆっくりとイエスの言葉について考えてみましょう。ゆっくり考えると、この言葉は何も言っていないと言ってもいいほど「単純で」「当たり前」のことである。医者を必要としているのは病人である、ということである。当たり前のことである。「主イエス生き方は」などと大きな声を出さないでも、医者を必要とするのは病人である、ということは当然のことである。ただ、ここでイエスがこれを語っている場面が問題である。
イエスと弟子たちがレビという名の徴税人の家に招かれた。このレビという男は、イエスの弟子となりマタイと呼ばれた男のようである。つまり、この招待というのは、レビが徴税人をやめて、イエスの弟子になるパーティであったようである。従って、そこにはレビの今までの友人として多くの徴税人が集まり、同時にレビにとっての新しい「仲間」であるイエスとその弟子たちとが集っていたのである。
問題はこの徴税人という職業である。そもそも税金というものはうれしいものではない。現代のように民主的な社会において、税金というものは基本的には私たちの生活に還元されてくるもの、私たちの生活をより豊かにするものであるということが分かっていても、やはり税金というものは私たち庶民にとってはいやなものである。まして、主イエスの時代においては税金を取るのは、外国の支配者であり、それは文字どおり「搾取」であった。それはただ取られっぱなしである。働いても働いてもその利益はローマに持っていかれ、国には少しも残らないのであるから、むしろ税金をごまかし、手元に残す方が国益に合致する、という状況である。国を挙げて脱税する、という状況である。こういう状況の中で、税金を集めるという人間は、もうそれだけで憎まれる値打ちが充分にある。でも、誰かがしなければならない。というより、ローマの方からすれば「誰かにさせなければならない。」そこで、徴税人には特別な待遇が約束された。徴税人になれば「大金持ち」になる。体一つで大金持ちになりたい人間が徴税人になり、その徴税人は国民から軽蔑され、憎まれ、「罪人」と呼ばれる構造が成り立っていた。
だからイエスが徴税人を弟子とし、また多くの徴税人たちと一緒に食事をするということは普段徴税人たちを軽蔑している人たちにとっては我慢のできないことであった。徴税人を友とすることは、国民を敵にすることであった。
 
4.病人とは誰か
さて、ここでのイエスの言葉の意味は明解である。医者とは自分のことであり、病人とは「徴税人や罪人」と呼ばれている人びとである。この言葉を聞いて、人びとはどう思った、あるいはどう感じたのだろうか。ある人は、徴税人や罪人と呼ばれている人びとのことを、イエスが「病人」と位置づけたことで「ほっ」としたかも知れない。彼らを病人と呼ぶことによって、自分たちを健康な人と考える。それこそ彼らにとって、徴税人は「社会の疫病」である。「バイ菌」である。イエスのこの言葉の意味は、そういう意味だろうか。
この言葉を聞いた、レビやその仲間たちはどう考えただろうか。
 
5.現代の医療の大問題
レビやその仲間たちの問題を考える前に、イエスのこの言葉自体が持つ大きな問題を考えておきたい。それは現代の医療の問題である。簡単に触れておく。それは、一口で言うと、本当に医者を必要としている人に「本当の医者」が存在しているのか、ということである。これには二つの問題がある。一つは、現代では医者を必要としているのは病人だけではなく、丈夫な人も医者を必要としている。そのことが、医者への需要を増やし、本当に必要なときに医者がいない、という事態を生み出している。もう一つの問題は、医療が非常に発達し、高度化し、そのために大都市に医療の設備が集中し、僻地や地方都市、さらには貧しい地域での医療が弱体化しているということである。このことは、一口で言うと、「丈夫な人には医者は大勢いるが、病人には医者が少ない。」ということである。
手塚治虫という漫画家がいました。「鉄腕アトム」で有名です。この人は漫画家になる前、医学を勉強し、医者の資格を持っておりました。この人のあまり知られていない作品に「ブラック ジャック」という作品がある。これは医者としての手塚治虫が現代の医療の問題と正面から取り組んだ作品で、12冊160編に及ぶ大作である。この作品の主人公ブラック・ジャックは無資格の医者であるがその手術は天才的で、世界でトップクラスということになっている。この作品の一つの挑戦は現代の健康保険制度にあるようで、ブラックジャックは何千万円という大金を積まないと手術をしてくれないという設定になっている。そのブラックジャックがときには一杯のラーメンで難しい手術をしたりなどもする。
この作品を読んでいて思うことは、この天才的な医者が「本当に自分を必要としている患者とは誰なのか」ということを探求することがテーマになっているように思う。患者が医者を求める、しかも名医を求める、これはあまりにも当たり前すぎて「漫画のテーマ」にはならない。つまり文学にならない。ブラックジャックが文学として成り立っているのは、この作品は主人公である医者が患者を求めることに主題が置かれているからである、と思う。主人公が求めている患者は、本当に心の底で「本物の医者」を求めている患者である。ここで本物の医者という場合、単に医師の免許書を持っているということを意味しないし、患者を物としてしか見れない医者ではあり得ない。本物の医者と本物の患者が出会うときにドラマが生まれるのである。
 
6.イエスの言葉
イエスの言葉に戻ろう。勿論ここでは医者と患者の問題を論じているわけではない。医者と患者に象徴される人間の出会いを論じているのである。自分にとって絶対に必要な人との出会いについて論じているのである。知ってもいいし、知らなくてもいいような、いわばどうでもいいような人との出会いではない。病人にとって医者は、本物の医者はどうでもいいような相手ではない。出会わなくては自分が死んでしまう相手である。イエスのこの言葉を後代に残したのは、イエスとの出会いにおいて、この様な出会いを経験した人たちである。彼らは主イエスとの出会いにおいて、「癒し」を経験した。主イエスと出会うまで自分を病人と思ったこともないかも知れない。しかし、主イエスとの出会いにおいて、「癒し」を経験することによって、それまでの自分を病人であったと自覚した、というような言い方もできるかも知れない。

断想:大斎節前主日(2019.3.3)

$
0
0
断想:大斎節前主日(2019.3.3)

山上の変容  ルカ9:28~36

<テキスト>
28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。
30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。
31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。
32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。
33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。
34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
<以上>

1. 大斎節前主日の福音書
大斎節前主日は明らかに大斎節を意識している。今週の水曜日から教会内の祭色もキリストの成長の生涯を示す緑から受難の紫へと変わり、キリスト者の生活においても顕現節から大斎節へと変化する。イエスの生涯においても、前半におけるガリラヤでの明るい活動から、後半における十字架への苦難の道へと展開する。ちょうど、その転換の時の出来事が「イエスの姿変わりの出来事」である。従って、この大斎節前主日の福音書のテキストとしては相応しい。マタイの年はマタイ17:1~9、マルコの年はマルコ9:2~9で、いずれもイエスの姿変わりの出来事が取り上げられている。
イエスの姿変わり出来事は復活の出来事の先取りであると言われる。ということは、大斎節は、「復活の先取りとしての変容の出来事」と「復活の出来事」とに挟まれた期間ということになる。言い換えると、「輝かしい変容」と「栄光の復活」とに挟まれた喜びの期間である。決して罪を歎き、懺悔し、灰をかぶるべき期間ではない。もし大斎節における節制ということに意義があるとするなら、それは懺悔と苦行としての節制ではなく、自分自身の内的信仰を確認し、深め、歓喜へと昇華するための節制である。

2. イエスの姿が変わる出来事
この出来事は古い祈祷書では「容変貌」、新しい祈祷書では「変容」といわれる。日本のキリスト教界では従来「山上の変貌」と呼ばれてきた。この「貌」という字が漢字制限にひっかかってからは「山上の変容」と変更された。原語ではメタモルホーという単語が用いられているが、これは単に顔が変形しただけではなく「姿、形」の全体が変化したことを意味する。という訳で田川建三さんは「変身」と翻訳している。
この出来事についてはヨハネ福音書にはないが、3つの共観福音書が述べている。出来事の場所についてはマルコもマタイもただ「高い山」(マルコ9:2、マタイ17:1)という。ルカはただ「山」とだけしか言わない。という訳で私などは若い頃から「変貌山の出来事」と言い慣れてきた。
3つの福音書の記事を対比してみると登場人物と場所など基本的な点は一致しており、マタイもルカもマルコの記事を基本的な資料としていることは明らかであろう。ただ時についてマルコとマタイはイエス自身による死と復活の予告の「六日の後」(マルコ9:2)としているのに対しルカだけは「8日ほどたったとき」とする。この2日の違いは何を意味するのか分からない。その他ルカは10点ほど語句の訂正や付加など変更を加えているが、とくに重要と思われるものは次の5点であろう。が、それに触れる前、 この事件における基本的な語句を確認しておく。
ここに登場する歴史上の人物、エリアとモーセについて。当時の人々にとってエリアは最も重要な預言者と考えられていた。同様にモーセは律法の代表者を意味する。この2人について重要な点は2人とも死なずに昇天したと考えられていたことである。エリヤについては列王記2:11に明記されているが、モーセについては申命記34:6の「モーセの墓を知る者はいない」という言葉に基づいた信仰である。
この物語の重要な大道具である「仮小屋(スケナス)」とは単に「(雨露をしのぐための)覆われた場所」を意味する。通常はテントとか幕屋と訳される。ここでこの言葉がどういうイメージで捉えたらいいのか明白ではないが、少なくとも古代ユダヤにおいては「幕屋」とは神の顕現の場所であることと関係するのかも知れない。あるいはユダヤ教の三大祭りの一つである仮庵の祭りと関係があるのかも知れない。要するに宗教的祈念碑のようなものであろう。
なお、この「山上での変容」の出来事は、ペトロ自身の経験として2ペトロ1:16~18にも触れられている。
<わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。>
田川建三さんはペトロ第2の資料の方がマルコ福音書の記事よりも古い形態を残している可能性があると示唆している。

3. ルカの重要な変更点
(1) ルカは登山の目的を「祈るため」と明記している。 ルカ福音書においては重要な出来事に際しイエスは祈る。
(2) その時のペトロと仲間の様子とイエスの姿の描写。その時の「ペトロと仲間」の様子を描いているのもルカだけである。ペトロと他の2人の弟子たちが眠ってしまった。新共同訳では、「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると」とあたかも眠っていないかのような表現になっているが、口語訳では「熟睡していたが、目を覚ますと」と訳されている。ここでは彼らが眠っていたのか、睡魔と闘っていたのかよく判らないが、これは本人たちに聞いたところではっきりしないことであろう。要するに、ここでルカが言いたいことは、この出来事が夜の出来事であったということであろう。それは、この物語のすぐ後で、「翌日」という言葉が用いられていることからも判断できる。ルカはこの出来事を「夜の事件」として描く。現代人は夜と昼との区別が希薄になり、ほとんど区別をしない。しかし、昔も今も、昼の判断と夜の判断とは異なる。とくに古代人にとっては夜と昼とでは世界が違うということを体験的に明白に知っている。夜は昼と同じ経験をしないし、昼の判断と夜の判断とは異なる。夜の世界は昼の世界と異なる。夜は昼の理性が通用しない。夜の力は昼間は眠っている。同様に、昼の支配は夜には及ばない。夜には夜の支配がある。それは夢の体験とも通じる経験であり、夜は人間の力の及ばない世界との交流の時間である。ルカがこの出来事を「夜の事件」と理解したことの背景には、現代人が理解できない世界観がある。
 (3) イエスとモーセとエリヤとの会話の内容を明記。
イエスとモーセとエリアとの会話の内容を述べているのはルカだけである。一体これを誰が聞いたのだろうか。まさかイエス自身がそのことを弟子たちに語ったとは思われない。マルコもマタイもそのことにはいっさい触れていない。このことについて触れ、語るということにはルカも勇気がいったことと思う。ルカはこのことを誰から教えてもらったのだろうか。誰も判らない。ルカの創作か。そうとも言える。しかし恐れ多くもさすがのルカといえどもそんなことを軽々しく創作できるのだろうか。私は思う。ルカは決して「軽々しく」創作したのではない。むしろ、このことにルカは自分の人生全体を掛けるほどの信仰を持って、確信して、このことを述べている、と私は信じる。この言葉の中にイエスの生涯を研究し、思索し、自分の人生を掛けたルカの信仰が示されていると思う。従って、ここでルカは一つ一つの言葉に注意を払い、選び、語っている。それが、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」(31)という言葉である。ルカがそれ程までに慎重に選び抜いた言葉を私たちは「軽々しく」翻訳してはならないと思う。私たちは、そしてルカによる福音書を読む全ての人々は「イエスがエルサレムで遂げようとしておられること」ということが、何なのかよく知っている。それは「死ぬこと」である。十字架上で死ぬこと、それ以外の何ものでもない。しかし、それは「最期」であろうか。日本において、「名人訳」として名高い永井訳では「エルサレムにて彼の将に成し就げんとし給う、死について」(新契約聖書)と訳している。有名なラゲ訳では「エルサレムにて遂げんとし給う逝去の事」と訳している。新共同訳が出版される前に、部分的な翻訳として聖書協会から出されたルカスによる福音書(共同訳)では、「イエススがエルサレムで果たそうとしている死の旅立ちについて」と訳されている。ついでに中国語の訳を見ると「去世」という言葉が見られる。昔の文語訳では「逝去」という言葉が見られる。
要するに、ここで用いられている言葉は「最期」という言葉ではなく、また「死」という言葉でもなく、まさに文字どおりに訳せば「世を出ること」(EXODOS)である。それは「死」というよりも「旅立ち」というニュアンスが強い言葉である。 「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期(旅立ち)について話していた」。この点がルカ福音書における山上の変容の出来事の中で最も重要な付加である。ルカはこの出来事をイエスの生涯における最大の転換と考える。この出来事の直前と直後にイエスは弟子たちにエルサレムでの十字架上での死を予告し、エルサレムへの旅を決意する(9:51)。いわばモーセとエリアとの会話は神の救済の実現へ向けての最終的決定である。これ以後、救済史は具体的なプログラムに入る。
(4) 弟子たちの恐怖
マルコは弟子たちが恐れていたことを漠然と描くが、ルカは恐れの原因を「彼らが雲の中に包まれていくので」と明記する。モーセとエリアの退場によって輝きの時は終わる。その寂しさが印象的である。それはまた、復活したイエスが昇天する出来事と重なる(使徒1:9)。
(5) その後の3人の弟子たちの態度。
マルコはこの出来事を次の言葉で結ぶ。「弟子たちは急いであたりを見回したが、もはや誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた」。マルコは彼らと共にいるイエスを強調している。それに対して、ルカでは「その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった」という言葉で結ぶ。ここには沈黙は命じられていない。このことについてはマルコもマタイも触れていない。なぜ彼らは沈黙を守ったのか、その理由は明らかではない。従って最も単純な理由はこのことを誰も知らされていなかったということであろう。あるいは彼らは語っていたが、この経験を共有しなかった者には理解されなかったということか。謎である。

4. 事件の真相
これは不思議な事件である。事実こういうことが起こったのか。あるいは、3人の弟子たちが口を揃えてこういう事実、あるいは経験を報告したのだとしたら、いったいこの出来事は具体的なことは何であったのか。そのことについては、もはや誰も検証することは出来ない。ただ、この記事あるいはこの伝承は原始教会のイエス理解においてかなり重要視されたことは否めない。従って、この出来事は3人の弟子たちの作り話とは思えない。弟子たちの復活経験に先立ってイエス在世当時に3人の弟子たちは、何かイエスの復活を予感させるような特別な経験をしたのだろう。マルコが先ずその出来事を彼の福音書において文書化した。マタイも何の疑問も持たずにそれを継承した。ルカも同様であった。ヨハネだけが、もう再録する必要はないと考えたのか、取り上げなかったが、それに代わる出来事として「ラザロの甦り」の記事を載せた。これも「イエスの復活」を予感させる出来事であった。

5. この物語のメッセージ
ルカがこの物語に託して語るメッセージは何であろう。明らかな一点はこの物語がイエスの復活の先取りだということであろう。それではもう一歩踏み込んで、イエスの復活を信じるということは一体何を信じているということなのだろう。単に過去の出来事としてのイエスの復活という奇跡を信じるか否かという問題だけだろうか。私は思う。ルカがこの物語に託しているメッセージとは、この世界、私たちが知り、そして生きている現在の世界だけで世界は完結しているのではなく、この世界と密着し、この世界を支えている「もう一つの世界」があるということである。私たちは「祈りにおいて」その世界と交わり、夜、幻の中でその世界に触れ、この世を去ることはその世に旅立つことである。イエスがその生涯を通してわたしたちに示されたものは、その世界のことであり、その世界との関わりの中で現在のわたしたちの苦難も喜びに変わり、貧しさも豊かさに転換し、絶望の向こうに希望が見えてくる。しかし、この世しか見えない者、この世を完結したものとみなす人々、この世での損得を絶対視する者にとっては、たとえこの世でどの様な富を蓄積したとしても、また名声を獲得したとしても、この世の消滅と共に、全てが消滅してしまう。
さて、私たちはこのルカのメッセージをどう受け止めるのか。イエスの十字架の死は全く無駄な死であったのか。死によってイエスの生は完全に消滅してしまったのか。人間は死んだらそれでおしまいか。それがまさに大斎節のわたしたちの課題である。十字架の向こうに復活の主イエスを見る、これが大斎節のテーマである。

断想:大斎節第1主日(2019.3.10)

$
0
0
断想:大斎節第1主日(2019.3.10)

荒野の誘惑  ルカ4:1~13

<テキスト>
1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』
11 また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
<以上>

1.大斎節は水曜日(「灰の水曜日」、今年は3月6日)から始まり、復活日の前日(今年は4月20日)まで46日間続く。その間に大斎第1主日から復活前主日まで6回の主日があり、それを除いて40日間が大斎日である。この40日間にちなみ、大斎第1主日では毎年イエスが悪魔から誘惑を受ける場面から始まる。
荒野の誘惑の記事はマルコでは、ほとんどその事実だけを述べる短いものである。従って誘惑の内容についてはほとんど述べていない。マタイとルカはおそらくQ資料をもとに誘惑の内容を3点に絞って詳細に記録している。その3点は両者ともほとんど同じであるが、第2と第3の誘惑との順序が違っている。もともとのQ資料がどうなっていたのかはもはや知るよしもないが、少なくともルカ福音書においてはこれから論じるイエスの活動と密接に関連している。
第1のパンの誘惑はガリラヤでの活動(4:14~9:50)と対応し、第2の世界支配への誘惑はエルサレムへの旅(9:51~19:27)に関連している。第3のエルサレムでの誘惑はまさにエルサレムでの活動(19:28~24:53)そのものである。

2. 誘惑という言葉
ここで「誘惑を受けられた」と訳されている原語は「ペイラゾーメノス」(原形はペイラゾー)は基本的には「試みる」、「試練に会う」「反省する」「誘惑する」「誘惑に陥る」などと翻訳されている。12節では同じ単語に強調の「エク」が付けられているだけであるが「試す」と訳されている。
広辞苑によると、誘惑とは「いざないまどわすこと」「悪い道にさそってまどわすこと」と説明されている。どうやら、誘惑ということには「まどい」ということがあるようである。「まどい」とは、「まよい」という意味で、「まどい箸」とか「惑い者」(居所の一定しない者、流浪人)誘惑の場合、「まどう」のは誘惑される側である。誘う側には迷いはない。誘われる側がまどうのは、誘われる側に「誘いに乗りたい」という気持ちがあるからである。そういう気持ちがなければ誘惑は誘惑にならない。本日の福音書のいわゆる「イエスが誘惑を受ける」の記事は、「誘惑」の物語になっていない。この出来事を「誘惑の出来事」として読むのは、ここでの悪魔の誘いを「誘惑」として考える読者の側の問題である。むしろ内容的にはイエスと悪魔との「勝つか、負けるか」の対決の物語である。

3. 「”霊”によって引き回され」
マルコ福音書では「”霊”はイエスを荒れ野に送り出した」(マルコ1:12)と述べ、ルカはそれを「”霊”によって引き回され」と修正する。因みにマタイは「“霊”に導かれ」(マタイ4:1)とする。
ここで「引き回す」というような刺激的な言葉が用いられているが、ここで用いられている原語「アゴー」は単に「導く」とか「連れて行く」を意味するごく普通の動詞である。文語訳聖書では「導く」と訳している。マルコ福音書では「送り出す」というむしろ特殊な言葉、原意は「放り出す」が用いられており、マタイ福音書では「上に導きあげる」を意味する特殊な単語が用いられている。それに対してルカはごく普通に「導く」という言葉である。それをわざわざ「引き回す」などという気を惹くような訳は妥当ではない。むしろ、荒れ野へだけではなく、これ以後のイエスの全生涯が霊に導かれたものである。
ここで重要なことはイエスが荒れ野に出て行って悪魔と対決するに至ったのはイエス自身の意思というよりも神の意志に基づくものであったということが重要である。洗礼を受けたときに「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と宣言されたイエスも悪魔との対決を経て悪魔に勝利し、「(悪魔が)イエスを離れて」(4:15)真の神の子となる。しかし悪魔がイエスから離れるのは「時が来るまで」である。悪魔が再びイエスの周辺に登場するのは「十二人の中の一人でイスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った」(ルカ22:3)である。このことを述べるのはルカだけである。ルカにとってこの期間は特別な意味を持っている。

4. イエスの公的活動の3つのステージ
ルカ福音書はイエスの公的活動を第1ステージとしてガリラヤでの伝道活動を語る(4:15~9:50)。ここでは主に前期と後期とに分けられる。前期はナザレでの説教から始まりカファルナウムでの伝道活動で、原則的にはイエスは単独で行動をしている。そして、そのまとめが4:42~44である。後期はペトロたちを弟子とする場面から始まり、12人の「使徒」(6:13)の選定と弟子集団の形成と育成とがなされる。このステージでのクライマックスは5000人の給食という奇跡(9:10~17)で、この間にイエスは自分自身の使命の確認がなされ、エルサレム行きを決意する(5:1~9:50)。
以上が第1ステージで、第2ステージは9:51から始まり19:27までがエルサレムへの旅の記録である。第3ステージはエルサレムでの歓迎の記事(19:28~38))で始まり、エルサレムの神殿内での祭司長や律法学者たちとの論争、民衆への教えなどが繰り返される。ここでのクライマックスは十字架上での死である。これら3つのステージと悪魔による3つの誘惑とが対応していることは明白である。

5. 第1と第2の誘惑
第1の誘惑の課題はいわゆる「パンの誘惑」と呼ばれているものである。パンの課題は「生きる」ということに関わる深刻な問題である。マタイ福音書にあってルカ福音書にない言葉、どちらが削除したのかあるいは付加したのかということは不明である。ただ、マタイが「人はパンだけで生きるものではない」という言葉の後に「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という言葉を付加しているのに対して、ルカはそれを削除している。この相違はいかにもマタイらしいし、同様にルカらしい。山上の説教においてもマタイは「心の貧しい人々」(5:3)と言うのに対して、ルカは単に「貧しい人々」(6:20)という。マタイの観念主義に対してルカの現実主義とでも言うべきか。
第2の誘惑は、いわゆる「高い山での誘惑」であるが、ルカは必ずしも「高い山」とは言わない。単に悪魔は「イエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた」という。明らかにルカはこの誘惑物語全体を非現実的に描いている。この点について、蛇足になるが、非現実的に描くことによって現実的な物語となる。そして悪魔は悪魔の正体を明確にする。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ」(4:6)。この言葉はマタイにはない。ルカは悪魔をこの世界の「一切の権力と繁栄」支配するものとして理解している。もちろん、その悪魔も神の支配にあるということは明らかである。ここでの誘惑の課題は、人は誰に仕えて生きるのかということである。この世の支配者に屈服し、跪き、拝し、仕えるのか。あるいは神に仕えるのか。この場合神に仕えるとはこの世を旅人のように生きるということにほかならない。この世にありながらこの世のものではない生き方。この世の支配者に膝を屈しない生き方。ルカ特有の貧富観からいうと、この世の権力とか繁栄から離れた生き方。文字通り「貧しい者」(ルカ6:20)として生きること。

6. 第3の誘惑
いわゆる「神殿の屋根の誘惑」である。この誘惑の課題は難しい。信仰そのものへの問いかけである。悪魔は「神の子なら」という言葉で語りかける。信仰者にならば「神を信じているなら」という言葉である。もっと具体的には「神を信じなさい」という言葉で誘惑してくる。私たちの信仰そのものが誘惑になる。実に巧みな誘惑である。その誘惑に対して信仰者は「信じない」とは言えない。ここでの信仰の内容とは「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ」というものである。飛び降りたら死ぬことは間違いない。しかし神は死ぬ直前にあなたを助けるであろう。それが信仰というものだ。この誘惑は十字架上のイエスを襲った誘惑でもある。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」(ルカ23:35)。共に十字架にかかっていた犯罪人の一人も「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」(23:39)とイエスを罵る。そのような外からの誘惑にもまして、イエス自身の中にもひょっとすると最後の瞬間、神が救い出していくれるのではないかという思いがあったかも知れない。マタイ福音書によると十字架の周りにいた人たちでさえ、ひょっとすると「エリアが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」(マタイ27:49)と語り合っていたという。
これは厳しい誘惑である。イエスは「あなたの神である主を試してはならない」と答えた。ルカ福音書が語るイエスの最期の言葉は「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(23:46)であった。これこそが究極の神信仰である。これもルカだけが述べていることである。

7. 誘惑する者・悪魔とは
マタイもマルコも、誘惑する者としての悪魔について、何も述べていない。しかし、ルカは悪魔について、悪魔とは何者なのかということを悪魔自身の言葉として述べている。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ」(4:6)。
悪魔といえば、何かとんでもない極悪人を想像したり、地獄の長のような神話的な存在を考えたりする。しかしルカは悪魔とはこの世の「権力と繁栄」を支配する者、分配する者であるという。悪魔にはそういう権利が与えられている。従ってルカによればこの世での権力を獲得した者は実は悪魔が彼にその権力を与えたのである。この世で繁栄している者、儲けている者も同じようにその繁栄は悪魔から与えられたのである。
ルカの思想においてお金持ちに対する批判はかなり強烈である。ルカ福音書ではお金持ちはお金持ちであるというだけで徴税人や罪人と同列に扱われている。イエスは「貧しい人に福音を告げ知らせる」ために生き(4:18、7:22)、貧しい人々は貧しいままで「幸いである」(6:20)と語り、宴会を開催する場合、金持ちを招くな、貧しい者を招けと語る(14:12,13、21)。また、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだの針の穴を通る方がまだ易しい」という。金持ちには「全財産を売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」と勧め、金持ちのザアカイが財産の半分を貧しい人々に施すことを申し出たとき、「今日、救いがこの家を訪れた」(19:9)と賞賛する。因みにザアカイのエピソードを語るのはルカだけである。その他ルカ独自の出来事としては「愚かな金持ちの譬え」(12:13~21)、金持ちとラザロとのエピソード(16:19~30)などがある。これらのルカの語り口を読むとき、おそらくルカが属していた教会には金持ちと呼ばれる人々はいなかったのであろう。

断想:大斎節第2主日(2019.3.17)

$
0
0
断想:大斎節第2主日(2019.3.17)

自分の道  ルカ13:(22~30),31~35

<テキスト>
31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
32 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。
33 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
34 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」
<以上>

1. 資料の分析
本日のテキストは13:22~35であるが、22節から30節は括弧の中にある。この部分が読まれる理由は22節の「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた」という言葉に注目させたいからであろう。つまり31節から35節までを取り上げる際に、この記事は「エルサレムへの旅」の途上にあるということを確認する必要がある。この箇所はイエスと弟子たちとがヘロデ・アンティパスが支配していたガリラヤ地方を通過しているときの出来事であろう。
33~35節はマルコ福音書にはなく、ほとんどそのままマタイ福音書(23:37~39)に見られるのでおそらくQ資料によるものであろう。マタイではこのテキストは単独で用いられイエスのエルサレムに対する「嘆きの言葉」となっている。ところがルカ福音書ではこの「嘆きの言葉」の前に31節から33節を付加することによってエルサレムを預言者が殺されるべき都市であるという面が強調され、嘆きというより呪いが全面に押し出されている(コンツェルマン『時の中心』226頁)。
32~33節のイエスの言葉には明らかに矛盾がある。前半の「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい」と後半の「だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」との関係が曖昧である。両方に「今日も明日も」という言葉があるが、後半は明らかにエルサレムへの旅について語っているが、前半はイエスの日常生活が述べられている。この点について、田川建三氏は「この両者の矛盾はどう解釈しても除かれないのであって、後代のテクストの改変の結果と考えざるをえない。すなわち、元来のテクストは「見よ、われは今日も明日も悪魔を追い出し、治療をなし、三日目にこれを終える。しかしそれに次ぐ日には去っていかねばならない。預言者がエルサレム以外で死ぬことはないからである」とあった。それに対して、この場面をエルサレム旅行の途次と考えた読者が、「今日も明日も」の句をもう一度挿入して「・・・・三日目に終える。しかしむしろ、今日も明日もその次の日も進んで行かねばならない」と旅行記述の意味に書き直してしまった」という。

2. 「あの狐」
ここでイエスはヘロデ(アンティパス)のことを「あの狐」と言う。もちろん、これは悪口に近いあだ名である。一般的にそういわれていたのか、あるいはイエスの命名によるのか分からない。聖書では狐という言葉は旧新約聖書を通して6回しか使われていない。新約聖書ではここのほかに「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(マタイ8:20、ルカ9:58)だけで、旧約聖書ではネヘミヤ記3:35で「そんな石垣など、狐が登るだけで崩れてしまうだろう」と弱く軽い動物の比喩として用いられ、雅歌2:15では畑を荒らす厄介者として描かれている。また、哀歌5:18では荒涼とした荒れ地の描写において登場する。要するにユダヤ人にとって狐とは荒れた土地に住み(孤立している)、時々畑を荒らす厄介な動物のイメージで、まさに王者の逆のキャラクターである。その意味で王に対して「狐」と呼ぶことは最大の侮辱である。
この言葉は「ヘロデがあなたを殺そうとしています」というパリサイ派の人々の忠告に対する言葉である。このヘロデ王はイエス誕生の時の残虐なヘロデ王の息子で、父親に負けないほど残虐で陰湿な王であった。サロメという少女の願いを聞き入れてバプテスマのヨハネの首をはねたのは彼である。ヨハネ殺害の後、彼はそのことで「(神の、しかし実は民衆の)たたり」を恐れてびくびくしていた。その頃イエスの活動が活発になり、評判が高くなると、イエスのことを「バプテスマのヨハネの生まれ変わり」だというような噂が流れヘロデ王は非常に恐れていたという。それでヘロデはイエスに会いたいと思っていたとルカは記している(9:7~9)。従って、ここでファリサイ派の人々の言葉には疑問がある。「ヘロデ王があなたを殺そうとしているから、遠くに逃げるように」という親切そうな態度には何か裏がありそうである。あるいは「イエスに会いたい」と言っていた頃と状況が変わり、本当にイエスの殺害を企んでいたのか。今から考えると事実イエスはエルサレムでヘロデ王の策略にかかって殺された。だとするとあのファリサイ派の人々は本当にイエスのことを心配して忠告したのだろうか。ここでイエスが彼らに「ヘロデに伝えよ」といっている言葉から考えると、イエスはここに来ているファリサイ派の人々とヘロデ王とは裏でつながっていると睨んだのか。それで、わざわざ「あの狐」という激しい言葉を使ったのか。もはや現在では真相は歴史の彼方に隠れてしまっている。それにしても、「あの狐に伝えよ」という表現はかなり辛辣である。ここではイエスが実際にそういう言葉を言ったかどうかということが問題なのではなく、ルカが描くイエスとはそういうことを口にする人物であったということである。
それよりももっと興味深い言葉は「今日も明日も」という表現が2回も使われていることである。ヘロデへの伝言の中では「今日も明日も」と「三日目にすべてが終わる」がセットになっており、自分自身への決意の言葉としては「今日も明日も、その次の日も」と並べられている。この表現は明らかに、「今日」と「明日」は文字通りの意味というよりは一種のレトリック(修辞法)である。従って「三日目」も「今日と明日」に続く最後の段階を意味するのであろう。ホセア書6:2参照。

3. イエスの決意の強さ
 ファリサイ派の人々との会話も興味深いが、ここでの最も重要な言葉はエルサレムへ向かう決意を表明しているイエスの言葉である。「だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」(13:33)。ここで用いられている「ねばならない」という言葉は注目すべきである。普通「ねばならない」という言葉は強い義務感を示す。しかしとくにルカの文書においてはこの「ねばならない」という言葉には特別な意味がある。ルカ福音書において、この言葉が用いられている主な箇所(2:49、4:43、12:12、13:33、17:25、18:1、19:5、22:37、24:7、24:26、24:44)を拾い上げてみるだけでも、そこに込められている意味が尋常ではないことは明白である。この他にも使徒言行録にも「ねばならない」が多用されている。とくにイエスの受難および復活という救済史における中心的な出来事を語る場合に、この「ねばならない」は重要な意味を示している。イエスは神における「ねばならない」という救済史的必然性の中で生きている。先のイエスの言葉の最後の「ありえない」という言葉も同様に理解すべきであろう。「ありえない」と訳されている単語は新約聖書ではここでだけ用いられており、ほかに用例がない。
預言者はエルサレムにおいて殺される(13:33)だけではなく、エルサレムによって殺されねばならない(13:34)。ルカはイエスの死の責任をすべてユダヤ人になすりつけようとする傾向がある。
ここでは明らかにイエスという堂々たる人格とヘロデ王のびくびくしたキャラクター(9:7~9)とが対比されている。描写のレトリックとしてはヘロデ王を持ち出すことによってイエスの意志の強さが際だってくる。

4. ルカにおけるエルサレム中心主義
ルカ福音書が他の福音書と異なる最も重要な主張はエルサレム中心主義である。最も顕著な点はイエスの復活という出来事をルカはエルサレムにおける出来事として描く。その点でマルコはガリラヤでの復活にこだわる。その点でマタイはマルコの主張に従う。その点でヨハネ福音書は曖昧である。ルカ福音書ではイエスはエルサレムで死に、エルサレムで復活し、エルサレムから昇天し、エルサレムにおいて聖霊は降臨し、教会はエルサレムで成立する。ルカ福音書はイエスの公生涯の後半をエルサレムへの旅として描く(9:51、53、13:22、17:11、18:31、19:11、28、19:41)。ルカのこのこだわりはどこに根拠があるのだろうか。その根拠を旧約聖書にもまた新約聖書にも見いだすことは困難である。むしろわたしたちが知っている原始教会の歴史はルカによることが決定的である。わたしはルカがエルサレムにこだわる根拠はルカ福音書13:34~35に見られるイエスの言葉によると考える。その意味ではこの言葉はルカが受け取ったイエスの言葉にほかならない。逆に言うと、イエス自身がエルサレムにおける死にこだわったとルカは信じている。その根拠となるのがこの言葉である。その意味ではルカはイエスの伝承された言葉に非常にこだわっている。

5. イエスの言葉に対するルカの姿勢
ルカがイエスの言葉にこだわっているのはエルサレム中心主義だけではない。E.シュヴァイツァーの『ルカによる資料使用の問題』によると、マルコやQを基にして、ルカとの相異を識別できる部分を比較すると、ルカがいかにマルコやQにおけるイエスの『言葉』を忠実に再現しているかということが明らかであるという(三好迪『旅空に歩むイエス』、33頁)。つまり非ユダヤ人であるルカにとって伝承されたイエスの言葉は旧約聖書以上に権威がある。その意味では、ルカの神学は伝承されたイエスの言葉に基づいて形成されたと言っても言いすぎではないであろう。

6. 「わたしの道」
イエスが私たちのイメージを破る出来事が2度ある。一つは、イエスが十字架上での死を予告したとき、ペトロは「そんなことはさせません」と元気のいい応答に対して、「サタン」と叱責されたとき(マタイ16:23)と、もう一つがここである。いずれも共通することは、イエスの道をさえぎる出来事に対してである。イエスの道ははっきりしている。エルサレムに行って、そこで十字架にはりつけにされて死ぬという道である。この道をさえぎるものは、敵であれ、弟子であれ容赦しない。この厳しい決意、それがここで明確に語られる。「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」(33節)。まさに「ゴーイング マイウェイ」である。殺されることを恐れて何ができる。ただ、わたしは自分に定められている道をひたすら進むのみである。
ここには、私たちの理解不能な色々なことが述べられている。詳細について一つ一つ取り上げて論じても理解できない。しかし、私たちがここから読み取らねばならない重要なポイントは、このイエスの決意である。この点をはずしたら、このテキストの主旨がわからなくなるだけではなく、イエスの生涯も、十字架も復活も、キリスト教会もすべて無意味になってしまう。

断想:大斎節第3主日(2013.3.24)

$
0
0
断想:大斎節第3主日(2013.3.24)

今の時を見分ける  ルカ13:1~9

<テキスト>
1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。
2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』
8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
<以上>

1.ポンティオ・ピラト
「ポンティオ・ピラト」の名前は使徒信経にも出てくる。ローマの皇帝の名前が使徒信経というキリスト教信仰の最も基本的な文書の中に登場することは、考えてみると非常に奇妙である。ところが、この人物がどういう人物であったのかということになると、あまり知られていない。せいぜいイエスの裁判において非常に重要な役割を果たしたということぐらいであろう。しかし、さらによく考えてみるとイエスはローマの兵士よって逮捕され、ローマの法によって裁かれ、ピラトが十字架刑の判決を下したのであり、イエスはローマの兵士たちの手によって処刑されたのである。
ところが多くのキリスト者たちはイエスを処刑したのはユダヤ人であると考えている。そのことについては、一応ユダヤ人には犯罪人を死刑にする権限がなかったからであると説明されるが、実際にはユダヤ教に対する宗教的犯罪には「石打の刑」があった。例えば、イエスの死よりそれ程遠くないころ、ステパノはユダヤ人の手で石打の刑によって殺されている。
ともあれ、イエスの死についてピラトという人物が深く関わっていたことだけは明らかである。というわけで、先ず始めにポンティオ・ピラトのことについていくつかの点を確認しておく。ルカ福音書3:1によると、洗礼者ヨハネが活動を始めたときのユダヤの総督がピラトであった。ローマ側の文献によると、彼がユダヤの総督に着任したのが26年、それから36年までの約10年間、その地位に留まった。彼の生年とか没年は不明、もともとはローマの騎士階級であったとされる。
私たちはピラトの人物像についてイエスの裁判の場面からしか推測できない。そこで見られるピラトの姿勢は何か頼りないというか、明白に自分の主張をしない人物に見える。特に「妻からの伝言」(マタイ27:19)によって逃げ腰になる姿などが印象的である。ピラトは妻に対して頭が上がらないかったようで、それもそのはずピラトの妻はローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの孫であった。その意味では妻の威光によってユダヤの総督の地位を獲得したのであろうと思われる。
在任中のピラトは反ユダヤ的な思想を強くもっており、ユダヤ人やサマリア人にかなり残酷な迫害をしたといわれている。特に神殿の祭祀に対しては侮辱的、挑発的な姿勢が顕著であった。そのためユダヤ人の対ローマ感情を悪化させた。それが最後には彼の命取りとなり、サマリア人の不当な殺害を理由にシリアの総督に直訴され、罷免されたという。
さて、使徒信経の中にポンティオ・ピラトの名前が記録されているということは、キリスト教信仰が現実の歴史と無関係ではないということ。もっと厳密に言うと、ポンティオ・ピラトというローマの皇帝の時代に実際に起こった出来事が信仰の中心にあるということに他ならない。キリスト教信仰とは一人の宗教的天才の頭の中で生まれ、そこから出て来た思想ではなく、リアルな歴史的出来事に基づく宗教である。この基づくということが「一種のアンカー(錨)」となっている。つまりキリスト教信仰が歴史的な出来事から遊離し、観念化し、一つの理念(教え))になってしまわないようにする重しの役割を果たしている。キリスト教信仰とは理念ではなく事実である。
4つの福音書を通じて、イエスの出来事(受難物語を除く)の中で歴史的な出来事と関連することはここにしかない。何気なく、「あの時、あそこで、こんなことがあった」という証言が歴史に対する一つの存在証明(アリバイの反対)となっている。それが今日の出来事である。

2. テキスト
本日のテキストは2つの部分に分かれている。1節から5節までは、最近起こったとされる2つの事件が取り上げられている。一つはローマの総督ピラトによるガリラヤ人弾圧の件、もう一つはシロアムの塔が倒れエルサレムの住人18人が命を失ったという事件である。これら2つの事件はそれぞれ「あなた方も悔い改めなければ皆同じように滅びる」という同じ文章で締めくくられている。これらの記事はルカのオリジナルであろう。
ところでここで言う「悔い改め」とは何を意味しているのであろう。注意すべき言葉は「皆同じように滅んでしまう」という言葉と組み合わされている。それではピラトの弾圧によって殺された人たちは「悔い改めなければならない何か」があったのだろうか。あるいは悔い改めておれば、シロアムの塔が倒れたときにも滅びなかったのであろうか。彼らは何か悔い改めるべき何かの罪を犯していたから、死んでしまったというのだろうか。他の箇所においてイエスの中にはそういう思想は全く見られない。むしろここで重要な点は、世間では彼らが他の人びとより罪深かったのだという判断が見られるが、それに対してイエスは断固として「決してそうではない」という。それを断固否定した人間がまだ唇の乾かないうちに「あなた方も悔い改めなければ皆同じように滅びる」などというはずがない。「決してそうではない」という言葉と「あなた方も悔い改めなければ皆同じように滅びる」という言葉とは全く異なった思想に基づいている。おそらく「~~さんよりも~~さんの方が罪深いか」という言葉を聞くと、反射的に、「全人類は罪人であるから、誰でも悔い改めなければ救われない」という図式が頭に浮かぶワンパターン神学の弊害であろう。(註:これがルカ神学の欠点)むしろイエスの「決してそうではない」という強い否定の言葉には災害や事故の犠牲者に対して、あるいはたまたまその犠牲者にならなかったことについて、罪とか悔い改めという言葉を持ち出してはならないということが強調されている。
後半の6節から9節は「実のならないいちじくの木」の譬えで、ここではいちじくの「実」が何を指すのか問題となる。一応直前の物語から見ると13:5の「悔い改め」を意味するように思われるが、むしろ13:1ー5は「たまたまもたらされたニュース」の挿入と見ると、その前の段落(12:59)を受け、「自分で判断できる」ようになることと見なすほうが妥当であろう。いちじくの木が成長して実がなるというプロセスを考えると後者の方が筋が通るように思われる。この記事はマルコ福音書11:12ー14(マタイ21:18ー22)を土台にしてルカが書き改めたものと思われる。マルコ福音書ではイエスがエルサレム入りをした後のベタニア付近での出来事とされている。マルコおよびマタイ福音書ではいちじくの木を呪い、枯らしてしまう奇跡的行為として描かれ、信仰をもって祈ればこういうことも可能なのだと教えとして述べられている。ルカは奇跡物語を排除して、時と場所とを特定しないで「自分で判断できる」ようになることを期待して待つ者の例話としている。

3. 「ちょうどそのとき」
イエスが群衆に向かって、明日の天気を判断することができるのに「時代の状況」を判断することができないことについて語り、また裁判問題が起こってきたときに、「何が正しいことか判断することができなくて示談を拒否して不利になった人のこと」について語り、「あなたがたは、何が正しいのかを、どうして自分で判断しないのか」と語っている「ちょうどそのとき」である。タイミングよくというか、イエスのメッセージにピッタリの出来事というか、緊急のニュースが飛び込んできた。
ピラトがガリラヤ人の血が生け贄に混ぜたという情報である。これはあまりにもよくできた話なので、おそらくルカがその話をここで取り入れたのであろう。実は、この種のことはガリラヤではしょっちゅう起こっていたらしい。この背景にはローマによるユダヤ人支配に抵抗を示す闘争があった。特にこの抵抗運動の拠点がガリラヤにあったと思われる。総督ピラトはガリラヤ地方の人々を弾圧し、虐殺し、その運動をつぶそうと謀っていた。まさに、その「見せしめ」として一部のガリラヤ人を逮捕し、虐殺したのである。
ガリラヤ人殺戮という事件は、まさにその時代の問題でありユダヤ人全体の民族問題であった。決して殺された人々だけの問題ではなかったはずである。しかし人々はそのようには受け取らなかった。人々は彼らが過激すぎたのだと判断したのであろう。イエスはここでそのような判断そのものを批判している。
さて、この問題についてあなたはどう思うか。どう判断するか。
ただ非常に気になることは、イエスの批判は弾圧するローマ側には向けられず、殺戮された人々を「罪深い者」と見ている視点である。それは厳密にはイエスの視点というよりも、ローマ社会で生き延びようとするキリスト教会の状況におけるルカの視点であろう。ルカの文書ではローマに対する批判は抑制されている。
私たちはルカの「意見」をも含めて、この問題をどう考えるのか。

4. シロアムの塔の倒壊事故
続いて今度はイエスの方から最近のもう一つの事件が取り上げられる。エルサレムの市内にあるシロアムの塔が倒れて18人が死んだという。恐らくこれは先ほどの事件に対してエルサレムに住んでいるユダヤ民族の指導層たちが何も手を出さず見殺しにしたということに対するガリラヤ人による報復テロであったと想像される。しかしこのテロによって亡くなった人々は一般の人々であった。この災難に遇った人々に何か特別な理由があったわけではない。いわば「とばっちり」であった。こういうことは現在でも中近東において日常的に起こっている。
私たちはこのようなニュースを聞くとき、そのことを私たちの生活とは無関係な出来事、あるいは、そういう災害に巻き込まれなかったことで「よかった」と胸をなで下ろす程度の反応しかできない。しかしイエスは問う。あの事件の犠牲者「18人」はエルサレムに住んでいる他の人々よりも罪深かったのだろうか。そうではない。
あなたはこの問題をどう考えるか、どう判断するか。
あなた自身の判断が下される前に、イエスは一つの間違った判断を紹介し批判をしている。
イエスは当時の人びとが「災害」を「神の罰」と考える発想を批判している。この発想においては、事件に遭遇した人々と、事件と無関係の自分とを切り離し、災害を免れた自分は「神の罰」と無関係であると安心する。イエスはそのような考えを批判する。災害を受けなかったということは、災害を受けた人よりも罪が少ないというのではなく、強いて言うなら、たまたま免れたというだけのことである。それ以上でもなく、それ以下でもない。

5. 情報社会ということ
さて、以上が本日のテキストの主旨であろう。このテキストはまさに「その時代」のものである。今進行しつつある状況に対するイエスの言葉である。その言葉は「わたしたちの今」に対してどういうメッセージになるのだろうか。毎日毎日、尽きることなく新聞やテレビで流されてくるニュース、それらのニュースの背後には一つ一つ事件がある。阪神淡路地震、東北大震災、熊本大地震などなど。最近ではほとんど無意味な殺人、詐欺、強盗など人間が起こす雑多な事件もある。人災なのか自然災害なのか曖昧な原発爆発事故もあれば、交通事故も不条理である。もちろん悪いことばかりではない。中には喜ばしいニュースもある。それら一つ一つのニュースについて私たちはどう思うのかが問われている。
さて、私たちがそれらの事件や事故、あるいは喜ばしい出来事の当事者になることは希であり、またよほどのことがない限り、私たちがその出来事の目撃者になることもめったにない。それらのニュースは誰かを媒介にして伝えられる。イエスの場合、「何人かの人が来て」(13:1)事件を伝えている。おそらくシロアムの事故も誰かが伝えたに違いない。重要なニュースは誰かを媒介にして伝えられる。ということは、いくら重要であっても伝えられない場合もあるということを意味しているし、伝えられたニュースの正確さも問題になる。
現代社会の最大の問題の一つはニュースの伝達の問題である。これが「今」の問題である。私たちに届く情報のほとんどすべては誰かの手を経ている。つまり誰かの判断というフィルターを通して伝えられている。場合によっては意図的に間違った情報を流したり、無かったことをあたかもあったかのように偽装して送られてくる。だから、この時代に住んでいる私たちは事柄そのものへの判断をする前に情報の真偽を確かめる必要がある。
先日もある本を読んでいたら、こんなことが書かれていた。
アメリカにおける9.11の後、ブッシュ大統領によってテロの首謀者であると名指しされたサダム・フセイン(イラク共和国大統領)は大量破壊兵器を所有しているという理由で処刑された。この時、 アメリカのテレビ局(CNN) によってバグダットにあるフセインの銅像が大勢の市民によって行き倒される映像が全世界に流された。私もその時フセイン像の上で踊っている男の映像を今でも覚えている。その時画面の下に流れるテロップには、「独裁者の消滅と、手にした自由に喜びの声を上げる市民」の文字でした。その時確かに一つの事件が終わったと思った。
しかしこれが後に、ワシントンポストという新聞によって「やらせだ」と批判される。大勢の市民がバグダット解放を祝ったと報道される一方、実際に銅像の周りにいるのは報道陣と米兵に囲まれた数十人だけ、広場の周囲には米軍の戦車が包囲し、他の市民から隔離していたという。(参照『政府は必ず嘘をつく』113頁)あの映像はそのようにして作られていた。日本でも福島県における東電原発の事故の情報隠しは今やすべての日本人が知っていることである。テレビから流れてくる映像はほとんどすべて何らかの編集加工を経ていると考えて間違いない。

6.日本人のマスコミ依存度(「鵜呑み度」)
日本リサーチセンターが実施し2000 年に公表した調査によると、マスコミへの依存度はドイツでは36%、カナダで36%、フランスで35%、イタリアで34%、ロシアで29%、アメリカで26%、イギリスで14%で、それらの先進諸国に比べて日本人は70%以上という結果である。いかに日本人がマスコミの報道を鵜呑みにしているのかが分かる。日本人の結果と近い国としてはフィリピンが70%、韓国が65%、中国が64%、ナイジェリアが63%、インドが60%となっている。これらの国々でのマスコミの普及状況を考慮すると日本国民の70%以上という数字の異常さが明白になる。
他の調査機関の結果もほぼ同様である。米国の著名な世論調査会社、ギャラップ社の調査によっても日本国民の73%~74%が新聞、テレビなどのマスメディアを信頼するとなっている。
さらに、公益財団法人新聞通信調査会による全国世論調査の結果を発表したが、各メディアの情報の信頼度に関する質問で「全面的に信頼している」を100点とした場合、 NHKテレビが74点、新聞が71点、民放テレビは64点であった。
さらに驚くべき調査がある。日本リサーチセンターでは同じ調査を5年に一度行われているが、2005年調査を2000年と比較して見ると、日本は70.2%から72.5%と鵜呑み度を上げているが他の先進国では、ドイツは35.6から28.6%、米国は26.3から23.4%、英国は14.2から12.5%とほとんどすべてポイントを下げている。韓国でも64.9から61.7%、中国も64.3から58.4%と大幅に鵜呑み度を下げている。
これらの数字は一体何を意味するのだろうか。喜ばしいことなのか、心配事なのか。実際に日本の新聞やテレビの状況を知っている者としては、情けなくなる。まさに、イエスが譬えで語っているように日本の状況は「実のないいちじく」状況である。情報は溢れるほど流れているのに、そこから人間の声が聞こえてこない。危険だといわれれば危険だと答え、安全だといわれたら安全だという声が返ってくる。マスメディアで発信されたままの言葉がエコーのように響くだけである。一人ひとりの国民の「生きた声」が聞こえてこない。私が「今」聞きたいのは、誘導された群衆の叫びではなく、小さな子供の「王さまは裸だ」という声である。この小さな声が一つ一つ繋がって大きな声になったとき社会は変わる。

断想:大斎節第4主日(2019.3.31)

$
0
0
断想:大斎節第4主日(2019.3.31)

放蕩息子の譬え  ルカ15:11~32

<テキスト>
11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。
14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
<以上>

1. 主題
ルカ福音書の第15章には次の3つの譬えが収録されている。
 (1) 「見失った羊」の譬え(4~7)
 (2) 「無くした銀貨」の譬え(8~10)
 (3) 「放蕩息子」の譬え(11~32)
そのうち最初の「見失った羊」の譬えだけがマタイ福音書18:12~14と重複している。この譬えについて両福音書を比較すると話のあらすじはほとんど同じである。100匹のうち1匹が迷い出る。羊飼いはその1匹を探しに行き見つけ出して大喜びするという単純なストーリーである。ところがこの譬えを語る設定はかなり異なる。マタイの場合は「小さな者を独りでも軽んじないように」という教えの譬えとして語られている。そして迷い出た1匹を見つけ出したら「迷わずにいた99匹より、その1匹のことを喜ぶ」(マタイ18:13)というメッセージが語られる。
ところがルカ福音書ではイエスが徴税人や罪人らと共に食事をしているという批判に対する反論として語られ、「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びがある」というメッセージで結ばれる。細かいことをいうと、マタイの譬えは「迷い出た羊」の物語であるが、ルカの場合は「見失った羊」である。つまりマタイの場合は「迷い出る」という羊側の問題性が前提となっているが、ルカの場合は羊と羊飼いとの関係が断絶したことについて羊の行動は問題にされない。マタイにおいてはたとえ羊の自己責任において羊飼いから離れてしまったとしても、羊飼いはそのことを問題にせず、羊を見つけ出して連れて帰ることができたことを喜ぶというストーリーである。ルカにおいて強調されている点は「その一匹を見つけ出すまで捜し回る」ということと見つけたら「その羊を肩に担いで」帰って来て、友達や近所に人を呼び集めて大喜びする」という点である。この物語においては羊を見失ったのは飼い主の方で羊のようには悔い改める余地はない。
さて第2の「無くした銀貨」の譬えも銀貨が主体的に持ち主から離れたわけではない。理由はともかく、銀貨と銀貨の持ち主との関係が一時的に断絶したが、「念を入れて」探した結果見つかり、持ち主は大喜びするというストーリーである。この譬えにおいても「悔い改める」というメッセージが入ってくる余地は全くない。ところが二つの譬えを結ぶ言葉は「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」である。おそらくこの結論めいた言葉はストーリーとは関係なく、著者ルカによって記されたと思われる。ここにルカ独自の悔い改めについての理解がひそんでいる。
これらの譬えがおかれている文脈はイエスが「徴税人や罪人」と食事をしていることについてのファリサイ派の人々の批判に答えたもので、イエスの時代のことというよりも、ルカの時代の教会の構成員の問題であろう。教会にはファリサイ派の人々から見ると「徴税人や罪人」に類する人々が大勢含まれていた。このことに対するユダヤ人社会からの一種の「ひやかし」に対する対抗の言葉であろう。「あなたたちのような善人顔をしている人間よりも、あなたたちが軽蔑しているこの人たちが集まっている集団の方が神に喜ばれるのだ」。同様な言葉がマタイも福音書に保存されている。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」(マタイ21:31)。この文脈では「悔い改め」という言葉はほとんど意味をなしていない。強いて言うならば、ここでの「悔い改め」という言葉は単純に教会に加わるという意味である。
さて第3の「放蕩息子」の譬えにおいて、放蕩息子は父親に対して「わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました」と悔い改めらしい発言をしている。しかしよく考えてみると、彼は決して父に対して何か不当なことをしたとか、裏切り行為があったわけではなく、当然将来自分が受けるであろう遺産を先行的に受けとり父の家を出て行っただけである。そこには悔い改めなければならない要因は無い。仮定であるが、もし都会に出て行って経済的に成功していれば「罪の自覚」は無かったであろう。成功するか失敗するかは偶然性を含む問題で、たまたま失敗したから「父の元を去った」ということが「罪」として自覚されたのである。つまり単純に父親から離れて生活したこと、言い換えると神との関係の断絶が罪であり、関係の修復が悔い改めである。ルカにおける「罪」とか「悔い改め」という意味はそこから汲み取らねばならないであろう。私たちが考える「罪」とか「悔い改め」という「神学的?」意味をここに持ち込むことは、文脈の意味を損なう恐れがある。

2. 放蕩息子の譬えの解釈
この主日のテキストは11節以下で、伝統的には「放蕩息子の譬え」として語られている部分である。通常「放蕩息子の悔い改めの物語」として読む。その場合、主人公は弟息子とされる。果たしてそうだろうか。この物語は「ある人に息子が二人いた」という言葉で始まり、父親の言葉で終わる。この物語の本当の主人公は父親であり、父親を主人公として読まなければならないのではなかろうか。
そして、その父親とは「神」を示している。ここでは2種類の人間が登場する。一人はファリサイ派の人々に代表される「自分を正しい人間」(ルカ18:9)だと思っている人々で、他は放蕩息子に象徴される神から離れた生活をしている人々である。兄も弟も共に同じ父親の息子である。
弟は父親に相談して生前遺産として自分がもらうはずの財産を分けてもらい、遠い国へ旅立つ。父親から離れた弟は「放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまう」。
全財産を失って始めて自分自身の愚かさに気付く。自分自身で何とかできると思っていた自分が間違いであった。父親から離れたら実は何もできないことを悟る。しかしもう元には戻れない。「もう息子と呼ばれる資格はありません」としか言えない。誰から言われるのでもない。「我に返って」(17節)、「息子」という本来のあり方が崩れてしまう。父親との関係の修復は不可能だと思う。譬えの表現はもっと厳しい。息子でなくなるどころか「雇い人の一人」にしてもらうのも「お願い」しなければならない。それが神から離れた人間の現実である。父親は彼のことを「死んでいた」(24,32)と言う。 実は、これはキリスト者たちの自覚を示す言葉でる。ヨハネはこの経験を「死から命へと移った」(1ヨハネ3:14)と表現している。死とは回復不能の状態を意味している。「息子」という本来の状態にはもはや絶対に戻ることができない。これが「悔い改める必要のある者」の自覚である。
ここまでが弟息子を主人公にしたこの物語のクライマックスである。これに対する教会のメッセージは「あなたの悔い改めが、神をどれほど喜ばせるか」ということである。つまり、あなたは「空しい存在」ではない、「息子であって、雇い人ではない」、神はあなたの悔い改めを「待っている」ということである。

3. 「悔い改めを待つ神」
ここからこの物語の本当の主人公である神が姿を現す。父親によって象徴される神は弟息子の帰りを待っている。その姿は次の3点によって語られる。
「まだ遠く離れて」「走り寄って」「急いで」弟息子を待っている。20節
悔い改めの言葉を最後まで聞かない。22節
(3) 兄の帰りを待たないで祝宴を始める。24節
この物語における父親は弟息子の要求をそのまま認める(12節)。弟息子が出ていくときにも止めない(13節)。弟息子を探しに行かない。すべてが弟息子の言うままである。しかし弟息子の帰還を待っている。悔い改めを待っているのではない。ただ待っている。しかも熱心に待っている。弟息子が帰ってきたとき、大喜びをする。反省しているか喜んでいるのではない。ただ帰ってきたことを喜ぶ。これがこの物語に登場する父親の姿である。イエスは神とはそういう方であると語る。それ以上でもなければ、それ以下でもない。教会が世界に呼びかける神とはただ待っている神である。弟息子が帰ってきたら「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」といって無条件に喜ぶ。ここの物語には、これ以外のメッセージはない。このメッセージを語る教会は、あるいは教会のメンバーはすべて、聖職も信徒もすべて、この経験をした者たちである。そこでは悔い改めとはただ「父の元に帰ろう」と決意したことである。その場合悔い改めの言葉さえ無用であったことを経験した。教会とはそういう経験をした者の集団である。悔い改めのために、私たちは何かをしなければならないわけではない。ただ、父の元に帰ればいい。ただ、生き方の方向を変えればよい。私自身の体験によれば、ただ自分に正直になればよい。良い格好をする必要もなければ、隣人に愛を施さなければならないわけでもない。いやのことは「いや」と言えばよい。美しいものは「美しい」と言えばよい。悪いことは「悪い」と言えばよい。それが「我に返る」ということであり、悔い改めということである。
ここに登場する兄息子は、こういう父親が許せない。弟が許せないのではない。父親が許せないのである。彼は父親を譴責する。彼の譴責は正当である。誰でも兄息子の言い分を理解するし、同情する。この時、兄息子に語りかけた父親の言葉は胸を打つ。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」。この父親の言葉をどう受け止めるのか。「お前はいつもわたしと一緒にいる」。正確には「一緒にいたし、これからもズーッと一緒にいる」。父親はそう思っている。しかし本当に兄息子はズーと父親と一緒にいたのか。心は離れていたのではないか。父親は「一緒にいた」というのに対して兄息子は「仕えていた」(29節)と言い、「言いつけに背いたことは一度もありません」と言う。親子関係とはそんな関係なのか。父親の気持ちが少しも分かっていなかったのではないか。弟息子が不在の期間、兄息子は弟を批判し父親に不満であったのではないのか。
わたしたちは、この物語において、自分自身を弟と同定するのか。兄と同じ立場に立つのか。それが問題である。

4. E.シュヴァイツァーの解釈
シュヴァイツァーは『ルカ――現代神学への挑戦』(新教出版社)において、6章のうちの1章をさいて「イエス・キリストにおける神の現存」と題して放蕩息子の譬えを解釈している。彼は現代における神の探求を分析した上で、放蕩息子の譬えについて次のように語る。「以下に述べるたとえは、私にとって最近の10年間、神とは何者であるかを理解するための中心的なテキストとなった」(169頁)。彼はこの譬えの中心人物は「放蕩息子」ではなく、その父親であると言い、物語全体を読み直す。ここで描かれている父親は「無能力な全能者」である。「彼は、強制的な力を用いることもなく、待つことしかできません。燃えるような愛の心で待つのです」(171頁)。放蕩息子を迎えた父親の喜びを語った後、「真の衝撃は、物語の最後の部分に訪れます」。宴会の時、父親は宴会の外で弟の帰還を喜ばない長男と語り合っています。この譬えの結びとしてシュヴァイツァーは次のように語る。「イエスは、戸外に佇む無力な父親という絵だけを私たちに残しています。この父親に対しては、正しい長男がつっ立っています。もし、全能の父なるものがいるとしたら、その人は、こういう仕方とはまったく別な振る舞いをすべきである―――これが、長男の動かしがたい鉄の確信でありました。この長男の姿こそ、たとえを聞いた人間にせまってくるものであり、そこに立っている長男とは自分ではなかろうか、という問いを投げかけるものです」。
シュヴァイツァーは、これをテキストとして「イエス・キリストのおける神の現存」についてさらに詳細に論じる。この部分は現代神学にとって重大のメッセージである。一言だけまとめとなる言葉を引用しておこう。「新約聖書は、わたしたちが無力以外の何物も見いださないとところ、神に反抗する人々に全面降伏してしまうところで神が見いだされるべきであること、またこのことは、十字架に釘付けされ、磔刑に処せられ、手足を動かすことはもちろん、もはや地の上に立つべき場所をもたなかったひとりの人において明らかにされた、と告げるのです」(195頁)。確かに十字架上のイエスからはこの地上に立つべき場所が剥奪されていた。「それが、天上の喜びと権威に満たされた祝宴の広間に座しているのではなく、自分に背く息子に中に入るよう乞い願いつつ、冷え冷えとした暗い夕方、外に立っているあの父親を描くルカの譬え話です」(同)。

断想:大斎節第5主日(2019.4.7)

$
0
0
断想:大斎節第5主日(2019.4.7)

隅の親石  ルカ20:9~19

<テキスト>
9 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。
10 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。
11 そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。
12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。
13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』
14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。
16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
17 イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』
18 その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
19 そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。
<以上>

1. テキストの分析
この譬えはマルコ福音書(12:1~12)にもマタイ福音書(21:33~46)にもある。細かい異同は省くとしてルカは重要な変更を加えている。マルコでは都合3回僕たちを送っているが、農夫たちは最初の僕を袋だたきにした。2番目の僕は「頭を殴り、侮辱した」。3番目の僕は殺された。「そのほかに多くの僕を送ったが、或者は殴られ、ある者は殺された」という。そして最後に「息子なら」ということで息子を送る。そしてその息子も殺され、ぶどう園の外に放り出される。この点ではマタイ福音書はマルコと同じである。ところがルカ福音書では僕たちは誰も殺されるには至っていない。殺されたのは最後に送った「愛する息子」(Lk.20:13)だけである。この相異の意味するところは大きい。
ここで一つの疑問が出てくる。この話は果たして「譬え」なのだろうか。確かにマルコやマタイでは譬え的な要素は強い。しかしルカにおいては「主人の『愛する息子』を殺す」ということによって譬え話の限界を超え、イエス自身の出来事の予告となる。むしろルカの視点からいうとイエスの十字架という事件の寓意的解釈ということになる。イエスはこれまでの多くの預言者と異なり「神の子」だから殺された。
この「譬え」を語るイエスは自分自身を「神の子」と自覚し、殺されることを覚悟していた。同時にそれはその結果としてのエルサレムの滅亡の予告でもある。もちろんそれはイエスの自覚というよりも福音書記者の解釈によるものであるが。
「そんなことがあってはなりません」(ルカ20:16)という言葉はルカ独自のものでマルコにもマタイにもない。この民衆の言葉はこの譬えのどの部分を指して、そんなことはあり得ないといっているのだろうか。ぶどう園における所有者と農民とのいざこざはどこにでも見られたであろう。そのことが時には暴力事件に発展することもあり得るだろうが、まさか殺人にまで至るということはまれであろう。おそらく、ここで特に取り上げられている点は農民たちが所有者の息子を殺すということの異常さであろう。「そんなことはあり得ない」と民衆は思う。それに対してイエスはそれが現実になると予告する。それが詩編118:22の「隅の親石」についての引用である。興味深いことにマルコとマタイではこの引用に23節の「これは主のなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」という言葉を付け加えている。といういうよりもルカがこの言葉を削除したのであろう。ルカは「わたしたちの目には不思議なこと」という言葉を「そんなことがあってはなりません」という言葉に置き換え、会話をスムーズにしたものと思われる。この辺の文章感覚は流石にルカである。
民衆のこの言葉に対するイエスの反応は「イエスは彼らを見つめる」(ルカ20:17)であった。もちろん、これはルカだけが述べていることであるが、ここで用いられている「見つめる」という言葉は「じっと注視する」という意味の言葉である。「そんなことがあってはなりません」という民衆たちの心をのぞき込む注視である。彼らはどこまで分かっているのか。ただ単にこの譬えの非現実性を指摘しているだけなのか。それと同時に「目は口ほどに物を言う」という諺にもあるように、イエスの目は民衆に語りかける目でもある。この「見つめる」という単語の一番分かりやすい用例はルカ22:61で、ペトロがイエスを知らないと言った直後、「主は振り向いてペトロを見つめられた」とある。イエスは群衆を見て、目で何かを語られた。ルカが参照しているマルコ福音書では「聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか」という言葉がありイザヤ書の言葉が引用される。ルカでは群衆を見つめて言われた。「それでは・・・・・」。かなり雰囲気が違う。イエスはあり得ないことが起こるのだということを何とか分からせようとしている。
18節の「その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう」という言葉マタイとルカにだけ出てくる言葉で、指示代名詞をのぞいてほぼ完全に一致している。ただし、この部分は西方写本では欠けており、文脈的にも論旨のつながりがはっきりしない。田川建三氏はこの節については「ルカがどこかで単独のロギオンとして見つけてきたもので、「石」という語の故にこの段落に挿入するのがいいと考えてこの位置に入れたということだろう。それを後世になってになってマタイの写本家たちがルカを見て、マタイの方にもルカから写し入れてしまった、と考えるのが一番素直である」という(田川建三『マタイ福音書訳と註』775頁)。従って、この文脈では18節は一応無視しておく。要するにルカはイエスの十字架事件を「そんなことがあってはならないこと」、「人間の目には不思議なこと」として語っている。

2. 「隅の親石」
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」という言葉は、キリスト教徒たちの間ではイエスのことを示す言葉として定着した。1ペトロ2:7ではイザヤ28:16と組み合わせて次のように引用されている。「この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』のであり、また、『つまずきの石、妨げの岩』なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです」(1ペトロ2:7~8)。
この言葉のもともとの意味は、バビロニヤにおいてこの世界から捨てられた状況に置かれていたイスラエルが神によって拾われ「神の家の土台」となるという希望を示した預言の言葉である。そして、そのことはイスラエルのバビロニヤからの帰還という事実によって歴史的真理(現実)となった。つまり、この世の支配者たちが無用のもの、邪魔なもの、捨てるべきものと考えているものを神は選び、神の器とする。それがイスラエルの歴史であり、神の歴史介入の方法であるというのがイスラエル人たちの確信であった。
ついでに言うとイエスの弟子たちはこの歴史観に立ってイエスを「この世の支配者たちが捨てた石」としてイエスの出来事を解釈したのである。この解釈では、「この世の支配者」とは、律法学者や祭司長ということになる。19節の言葉はそのことを示している。「そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた」。

3. イエスの譬の意味
さて以上のことを踏まえて、ぶどう園の譬えを細かい点を省いて整理する。
ぶどう園の所有者は農夫たちにぶどう園を貸した。収穫の時になったので所有者は収穫物を納めさせようとした。農夫たちは、派遣された僕を袋叩きにして追い返した。所有者は、3度、僕を派遣したが農夫たちは同じ様な目に合わせて追い返した。
ここまでは譬えというよりも、当時現実に各地のぶどう園において起こっていたであろう現実的な話である。ところが、後半になると現実の歴史から離れて「引喩」になってくる。
所有者は僕たちを派遣していたのでは解決しないので、跡継ぎ息子を派遣した。農夫たちは跡継ぎ息子を殺してしまえばぶどう園は自分たちのものになると思い、息子を殺してしまった。農夫たちの行動に対して、所有者は農夫たちに報復し、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人たちに与えた。
これが事件の荒筋である。これに対して民衆は「そんなことがあってはなりません」と反論した。民衆の反論は農夫たちが跡取り息子を殺すというようなことはあり得ないこと、非現実的なことという点であろう。
 民衆の反論に対してイエスは暫くの時間、黙って民衆の顔を見つめている。それは本当にあり得ないことなのか。この世界ではあり得ないことが常に起こっているではないのか。イエスは静かに「家を建てるものの捨てた石、これが隅の親石となった」という聖書の言葉をどう理解するのか。この言葉ならイスラエル人ならば誰でも知っている。この言葉が今日のイスラエルを成立させている言葉である。イスラエルとはこの世の支配者たちが捨てた石に過ぎない。バビロンからの解放というが実態はバビロンを滅ぼしたペルシャから無用の民族として放逐されたに等しい。しかし神はそのイスラエルを拾いあげ、神の民として育てた。そのことを語るのがこの「隅の親石」論である。この歴史観をどう考えるのか、ということがイエスの問いである。

4. 「ありえないこと」が起こっている
イスラエルという民族は、この世の常識によっては「ありえない」ということが実際に起こったということの上に建っており、立ち続けている。従ってイスラエルの人々にとって「これは無用の石ころだ」ということによって、その石を捨てるということは「あってはならない」ことである。たとえ、この世の人々がすべて無用だと宣言しても、イスラエルだけはそれを捨ててはならない。ところがイスラエルの歴史を振り返ってみると、人々に神の言葉を伝える預言者たちを次々と弾圧し、追放してきた歴史ではないか。イスラエルの歴史こそ「あってはならないこと」をし続けてきたのではないか。そして最後に神の子まで殺そうとしている。しかも、それを神の御名において行ってきた。「あってはならないこと」をやり続けてきたのがイスラエルの歴史である。真にイスラエルであるということはこの世の支配者たちが捨てた石を拾い集め、それらを「隅の親石」として社会を形成するところにある。この世において無用なものと思われているものにこそ無限の価値を見出す。それがイスラエルの価値観である。イエスが当時のイスラエルに対して批判している最重要なポイントはここにある。

5. 教会への問い
さて、この問いかけは教会にも向けられなければならない。教会もイスラエルと同様、この世の支配者たちが「捨てた石」を「隅の親石」として建てられた共同体である。教会には何も誇るべきものはない。ところが何時の間にか教会に権力が生まれ、教会にとって無用なものと勝手に断定して、た者を排除してきた。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』という人類史上最高の作品の一つだといわれている小説がある。これを全部読むのは大変である。その中に(小説中の小説)『大審問官』という作品がある。
この小説を読みやすいように「再話」の形で書き改めたものが<ブログ「ぶんやさんち」2008.1.30~2.1に収録されている。 https://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/1173659c283fff370a753391f4038933 、以下3連続>
この小説のミソは、中世のヨーロッパで魔女裁判が盛んに行われていたスペインのセヴィリアの町に隠れた姿でキリストが現れるという出来事が起こる。人々はキリストに気づき街中大騒ぎになりキリストは逮捕され大審問官から尋問を受けることになる。大審問官は逮捕された男がホンモノのキリストであることに気づくが、それだからこそ、教会という組織防衛のためにキリストを抹殺しようとする。非常に面白い作品で簡単に荒筋だけを述べてもその迫力は分からないと思うが、要するに教会にとってキリストは不要な存在であり、危険な存在だということである。これは今日でも同じことではなかろうか。もし、今日キリストがこの世界に現れたら、そのキリストを抹殺するのは教会かも知れない。わたしたちも、あの時の民衆と同じように「そんなことはあってはなりません」と叫ぶのでしょうか。




Latest Images